雑誌「考える人」が休刊になった。
ただただ、悲しい。
季刊誌「考える人」は、誌名の通り、
「考える人」たちが「考える」人たちに向けた、真摯な雑誌だった。
誌名が最後までお題目に成り下がらず、
本当に、良質な紙面づくりで、
トレンドに流されない、誠実な雑誌だった。
定期購読者も一定数いたらしいが、
雑誌市場の急激な縮小に耐えられず、休刊の決定に至ったという。
休刊したのは、僕が毎号買っていなかったから。
定期購読すればよかったのに、
毎号買わずに、立ち読みですませていたからだ。
僕のせい。
全部、僕のせいだ。
おととい、巨人は、12年ぶりにシーズン負け越しが決まり、
高橋監督の辞任、鹿取GMの解任も決定的になった。
テレビの中のライトスタンドのファンはうなだれていて、
その背中は、まるで、巨人が負け越したのは、自分のせいだと言わんばかりだった。
今年の惨敗は僕のせい。
きちんと応援しなかった、僕のせいだ。
「いや、巨人の成績とお前の応援にはなんの関係もない」
そう他人が思ってみても、当人は、責任の一端は自分にあると考える。
それがファン。
関係ないものに勝手に入り込み、自分を当事者にしてしまう。
でも、そういう人がいなければ、スポーツは成り立たないし、
スポーツには、人を当事者にしてしまう変な力がある。
ロックバンド・ブルーハーツは「チェインギャング」という曲で
「人を騙したりするのは とってもいけないことです
ものを盗んだりするのは とってもいけないことです
それでも僕は騙したり ものを盗んだりしてきた
世界が歪んでいるのは ぼくの仕業かもしれない」
と歌っていた。
オレオレ詐欺を働いたり、万引きしたりしている人たちは、
そのせいでもしかしたら世界が歪んでいるかもしれないとは思わないだろうが、
彼らが、もしかしたらそうかもしれないと思えば、
人を騙したり、ものを盗むことをやめて、歌を歌い始めるのかもしれない。
世界と自分のつながりを感じて。
ブルーハーツは、「世界が歪んでいるのは ぼくの仕業かもしれない」
と歌った後で、
「キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ」
とも歌っていた。
キリストを殺したのは、僕のせい。
僕が持っている罪のせい。
そう、十字架にかけられた男の”ものがたり”と自分のつながりを感じ、
遠くむかしむかしの話と自分をつなげられればこそ、宗教は成立する。
宗教が影響力を失ってしまい、雑誌「考える人」が休刊になってしまったのは、
ことばが力を失い、
ことばによって世界が自分とつながっていることを実感されられなくなったからかもしれない。
”世界”が悪いのはぼくのせい。
”世界”が変わらないのは僕のせい。
そう思わせられなくなったことが、宗教や「考える人」の衰退を呼んだ。
巨人の衰退を呼んだのも、
ファンに、巨人の成績と応援がつながっていることを実感させられなくなったからだろう。
そうであるなら、ことばが衰退した責任は、やっぱり、僕のせい。
僕が立ち読みばっかりしてたせいだ。
でも、 巨人が衰退したのは、僕のせいではない。
フロントのせい。
いつまでも球界の盟主を気取っているせいだ。
自分とものごとのつながりをまったく感じない人は、
「僕のせいだ」と言わずに、「あいつのせいだ」という。
なんだか最近、人々が、「あいつのせいだ」「あいつのせいだ」と、
言い合ってばかりのような気がする。