出会い系

スタバは「出会い系」ではない。
誰かと出会う目的で、スターバックスを始めとしたカフェにいっても、目的は満たされない。
かつてカフェは社交の場であり、そこで最新の情報を得たり、人脈を得たりしたが、いまのスタバにそんな役割はない。

スタバでは知らない人にしゃべりかけてはないけない。
店内に優しい雰囲気が溢れているので話しかけてもいいと感じるかもしれないが、そんなことしたら、つまみ出される。
スタバを気をつけて観察すれば、誰一人として店内に「オープンな人」がいないことに気づくだろう。
口をまったく開かずにパソコンだけ開いている人か、友達との会話に夢中な人だけで、そこにはクローズドな関係しか見られない。
これが学校の教室なら、「だめなクラス」の烙印を押される。
なんせ、誰も他の人と「交流」する気がない。

スタバのようなカフェに限らず、銭湯でも床屋でもホテルでも、今は誰も交流を目的としていない。
かつて、銭湯や床屋や宿屋は「出会い系」であったが、今は、一人で行って無言で帰ってくる場所である。
それもそのはず、今やそういう場所には情報が集まっておらず、情報交換の場ではなくなっている。

現代の「出会い系」は、SNSの中であり、ゲームの中である。
情報はスマホの中に見つけられるのであって、リアルの世界にはない。
自分が住んでいる街のおいしいお店を知っているのは、床屋で出会うような近所の人ではなく、SNSに投稿するグルメな人なのである。
悲しい哉。

最近ではもう、そうした場所がSNSでもゲーム内でもなく、メタバースに移っているという話も聞く。
メタバースという仮想空間でアバターを使い、他の人が扮したアバターと交流する。
そこでは限りなくリアルな体験ができ、疑似恋愛や疑似友情も芽生える。

先日見たドキュメンタリーでは、同じ棟に住む若者たちが、リアルではまったく交流していないにもかかわらず、メタバースの中では「恋愛」をしていた。
しかも、お互い男性だったが、アバターはお互い女性のキャラクターを使っていたので、女性としての「恋愛」をしていた。
それを「恋愛」ではなく「擬似恋愛」だと感じてしまうのは自分が時代に追いつけていない証なのかもしれないと思ったが、SNSを覗くと、多くの人も同じように思っていたらしい。
まだ、時代は、この関係を「疑似」と見るようである。

メタバース自体は、壮大なフィクショナルな世界をバーチャル内で展開できるということで、これまで都市空間でやっていたことを環境破壊なしでできるため、多くの期待もかけられている。
つまり、これまで多くの人たちは希望や幻想を抱きながら東京やNYのような大都市に集まってきていたが、その希望や幻想を維持するために多くの環境破壊がおこなれてきた。
それをメタバースはバーチャル空間で再現できる。

人は現実の中で生きながら、なにかを想像したり、希望を抱いたりしている。
それはフィクションの中で生きているということである。
現実のクラスメートよりも、遠く離れたSNSのフォロワーと強い結びつきを感じることは、当たり前にあるし、SNSやインターネットが出現する以前でさえ、ペンフレンドと文通したり、ラジオに投稿したりと、身体的な接触なしに心のつながりを感じることはあった。
メタバースは、その進化系である。

まだ手つかずの「世界」であるメタバースが、今後、発展していくことは間違いない。
「出会い系」を求める人たちは、今後、「スタバ」ではなく、「メタバ(ース)」の中に向かっていくのだろう。
ただ、そうしたフィクション空間が精密になればなるほど、リアルとの乖離は深くなる。
文通でペンフレンドと仲良くなればなるほど、リアルで会いたい思いは募るものだが、リアルでも文通内と同じように仲良くなれる保証はない。
むしろ、文通している間に頭の中で妄想を膨らませた分、会った時の落胆も大きい。

人は身体を持つ以上、意識だけ、フィクション内だけで生きていくことはできない。
将来、ヒトが身体を脱ぎ捨て、意識だけで生存できるようになれば、上記のような心配は杞憂に終わる。
しかし、フィクションは心地いいものしか相手にしない。
メタバース内で「恋愛」はできるようになっても、メタバース内で「介護」をすることはないだろう。
その時、リアルな世界で、食事や排泄の世話は誰がするのだろう。
意識で生まれて意識だけ生きていくには、まだ相当な時間かかりそうですが、それまでの時間、我々はメタバース空間と「リアル世界」との間でずっと揺れていくのだろうか。

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