悪口

人の悪口は言ってはいけないわけではないが、
なるべくなら、言わないほうがいい。
人が言葉を作ったわけではない以上、
人は言葉と勝負すれば、負けるようになっている。

人は言葉より弱いので、
人の悪口を言っていると、
人は悪口に負けてしまう。
言葉が自分を追い越し、
悪口が悪口を呼び、
自分が思ってもいないような罵りが口をつく。
それは一人でいる時より、二人でいる時より、
大勢集まった時のほうが顕著で、
過去の権力者が「集会の自由」を制限したわけがよくわかる。
人は集まれば、愚痴に大輪の花を咲かせる。

誰も本当に心からは思っていない悪口が大勢の人によって言われるのなら、
それは不必要な憎悪の花である。

悪口は言わないに越したことはない。
それでも言いたくなった時は、正確に悪口を言うほうがいい。
正確に言おうとすれば、朝咲いた憎悪の花は夕方くらいにはしぼんでいる。
正確な悪口はときたま、批評として機能する。

どうせ言うなら正確に言ったほうがいいというのは
別に悪口だけでなく褒める際も同じことである。
人を褒める時は、正確に褒めるほうがいい。
本当に心から思っていないおべんちゃらやおだてを言っていると、
言葉にこころがのっとられてしまう。
誰も思っていない空疎な称賛は、底のない空虚な穴である。
おべんちゃらによって、その人を穴に落とすのではなく
正確な褒めによって、成長させなければならない。
正確に褒めることは、正確に悪口を言うことの何倍も難しい。

人が言葉を生み出したわけではない以上、
言葉には人ができること以上の影響があることを自覚しておきたい。

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