九州の実家に帰省していたお土産として「カステラ」を買っていったら、
予想外に喜ばれた。
カステラはおいしい。
カステラのいいところは、「文明開化の味」がするところ。
明治のハイソな人たちも、この味をおいしいと思ったんだと想像すると、
また違ったおいしさが乗っかってくる。
それと同じことを思わされるのが、うどん。
うどんのいいところも、
江戸時代の人が食べていたものと同じものを今食べて、
素直においしいと思えるところ。
カステラの砂糖の質がこの150年で格段にあがったことを考えると、
うどんの方が、より、当時の味に近いと思う。
自分が駅前のうどん屋でおいしいと感じるものを、
200年前の京や江戸の町人が同じようにすすって、
同じように「やっぱうどんはうまいなぁ」と感じていたと想像すると、
なんだか不思議な気がする。
本当は、うどんに限らずサンマだって漬物だって、
江戸時代の人がおいしいと感じているものを今、
同じようにおいしいと感じているはずなんんだけど、
なぜか、サンマや漬物では、その不思議さは感じない。
時代を超えたシンパシーをうどんにしか感じない。
何が違うのかは、よくわからない。
それはもしかするとイメージの話。
例えば、キリスト教では初期の段階から、
ぶどう酒がキリストの血(聖体)として教会で飲まれていて、
同じように、現代の教会でも、ミサでぶどう酒は飲まれるのだが、
キリスト教徒にとっては、
キリストの血を体に入れているという「物語」だけでなく、
2000年前の使徒たちが飲んだ味と変わらない味を口に入れているという
時代を超えた味の「つながり」に
不思議な感慨を覚えている可能性がある。
キリスト教徒でも西洋人でもない僕には、なんだか縁遠いぶどう酒だが、
キリストの存在がまだ生々しかった当時のキリスト教にまつわる物語や、
ぶどう酒が水よりも手に入れやすかった当時の人々の生活を
知識として知っている人にとっては、
まったく遠くない飲み物なんだろう。
遠い時代をイメージできればこそ、
時代を超えたつながりを感じることもできる。
そう考えると、うどんはサンマや漬物より江戸をイメージしやすい食べ物。
本や落語なんかで頻繁に出て来る、
町人がうどんを食べているシーンが、
自然と、うどんを食べている時、江戸のことを思い出させる。
カステラだって、いまだに長崎のカステラメーカーが、
文明開化時代の南蛮人のイラストとともに売っているから、
文明開化の味がすると思っているだけ。
文明開化のことをまったく知らない人にカステラを食べさせても、
文明開化の味は感じないはず。
「じゃあ、カステラってどんな味?」
「ふっくらしっとり、甘くておいしい味」
カステラのおいしさを聞いたって、
そのくらいの感想しかでてこないはずだ。
ただ、人は、おいしさに関する語彙が少ないので
ふっくらとかしっとりくらいしか言えないが、
そのふっくらしっとりしたカステラのおいしさのことを、
人は「文明開化の味」と呼んでいるのだ。
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