ひきこもりやコミュ障が増えて、
友だちが少ないことが一つのネタになるはるか以前から、
僕は友だちが少ないことを、いじられていた。
友だちが少ないと言われても、ともだちを数える機会なんかないので、
本当に少ないかどうかは、疑問の余地が残るなと思ったが、
数えたとしても、片手で足りることはわかっていた。
敢えて数にしないことで、疑問の余地を残していた。
大学時代、学食で昼飯を食べる時は、ほとんど一人だった。
当時は、まだLINEが普及しておらず、
直前で予定を合わせることが、今みたいに、簡単ではなかった。
その割に、みんなは、友だちたちと一緒に食べていた。
たぶん、僕の知らないアプリをインストールしていたのだろう。
役に立つものに対する彼らの情報網はすごい。
ただ、その情報が、ぼくのところに回ってくることはなかった。
いつも一人でいたが、寂しいと感じることはなかった。
ゼミの”学友”も、
「いつも一人でいるけど、全然、寂しそうに見えないね」
と言っていた。
一人でも寂しくないことが伝わっていてよかったと思ったが、
「だから、あなたとは友だちになりたいって、何か思わない」
ということかもしれないと、今になって思う。
そういえば、留学していた時も、一度もホームシックにかからなかった。
見知らぬ土地に一人でいる、ということが苦にならなかった。
だから、大学で、群れたがりな男たちとは反りが合わなかった。
大学に入学してすぐのゴールデンウィークに、
新幹線で実家に帰るようなやつを、けっこう軽蔑していた。
キャンパスの芝生に寝転がって、一人で本を読んでいた時、
本の中の美輪明宏さんは「孤独は賢者をつくる」と僕に言ってきた。
「なるほど。孤独は賢者を作る」
合点がいった。
自分が好きで一人になったわけでも、
一人が嫌だったのに一人になってしまったわけでもなかったが、
僕は、いつのまにか、賢者の資格を有していた。
賢者の有資格者。
これで、就活の時、エントリーシートの資格欄に、
「賢者」と書けちゃうなと一人で笑ったが、
結局、そのあと、みんなと同じように、
就活スーツを着て、エントリーシートを書くようなことは、
一度もなかった。
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