狂気

一時期、日本のアニメには、悪を滅ぼすために、科学者がロボットを作って平和を実現するというスタイルがあった。
「鉄腕アトム」「鉄人28号」「マジンガーZ」「人造人間キカイダー」エトセトラ・・・

そうしたアニメは最近はあまり見なくなったなと思っていたが、よく考えれば、子どもに大人気の「アンパンマン」も、その系譜に属していることに気付く。
お茶の水博士がある意志を持ってアトムを作ったように、ジャムおじさんはある意図を持ってアンパンマンを作った。
アトムとアンパンマンで違うのは、動力が「原子力」か「あんこ」かということくらいである。
やなせたかしも時代の潮流に影響されていたことを知ってほっとする。

お茶の水博士が明確な意志を持ってアトムを作ったように、ジャムおじさんも明らかな意図をもってアンパンマンを作ったのだが、アンパンマンがこの世に誕生する前、ジャムおじさんはこう言いながら、あんぱんを窯に入れていた(アニメ版)。

「バタコ。私は、世界に一つだけのパンをつくりたいんだよ。
どこかにひもじい思いをしている子がいたら、行って自分の顔を食べさせてあげるようなパンを」

そう言って、ジャムおじさんは、あんこを小麦粉で包んだあんぱんのタネを窯に入れた。
ジャムおじさんは、あんぱんを焼きながら、その焼き上がったあんぱんが意思を持ち、他人に対し自己犠牲的な精神を発揮することを期待したのだ。

ジャムおじさんや水道橋博士のような人を「明確なビジョンを持っている人」という。
原因と結果を熟知している彼らは、なにをすれば新しい存在が生まれるかをわかっていた。
科学者であるジャムおじさんは、明確なビジョンのもと、自己犠牲的ヒーローの登場を確信したのだ。
たとえ、その確信が狂気だとしても(そして、それは狂気以外なにものでもないが)、あんぱんから意思が生まれる要因やメカニズムは確実に存在したのだ。
そうでなければ、あの村に、「しゃべるパン」があんなにいるはずはない。
「しゃべるパン」は、意図的に生み出されているのだ。

だが、「真」と「善」は別である。
「しゃべるパンが生まれること」と、「しゃべるパンが村の平和を守るべきかどうか」は、別の話である。
ヒーローは常に、議論にさらされる。

 

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