秋晴れ

一ヶ月ほど前、10月の話・・・。

秋晴れ。空が高い。
秋の空が高いのはなんでかね。
一節によると秋の空が高い理由は「湿度」と関係があるらしい、となにかで聞いた。

え。
湿度。
んー。

その話を聞いた時に、なんか聞いちゃったなぁと思って、でも、だから、その話について調べるのは止めとこと思った。
もしそこで調べちゃったら、秋の空が高い理由に決着がついちゃうからな。
決着ついたら、もう、それ以上、考えることないからね。

僕は、科学的な解答が知りたいのではなく、毎年毎年秋になって、空が高くて広くて、空が青くて澄んでて、雲が大きくてウロコ状になってるのを見て、なんて秋の空は素晴らしいのでしょうか、なんなんでしょうね、これは、と考えたい派の人間なので、科学からの「答え」は受け取りたくない派の人間。
何かが終わってしまうからね。

そういう意味で、「知識」というのは、ほんと、時に、余計。
インターネットも余計。テレビも余計。
いらんことして、何かを終わらせてくる。

絵本作家の安野光雅があるエッセイの中で、
天気予報士がテレビで、「傘を持って出かけたほうがよいでしょう」とか「何か羽織るものを持って出かけたほうがいいでしょう」とか言うのは、まったくもって余計なことだと言っていて、「へぇ」と思った。

安野さんが言うには、天気予報は「予報」なんだから、「晴れ」か「雨」かだけ言ってればよくて、それをもとに「どう行動するか」は、各々が考えればいいっていうか、それが「自分で考える」ってことなんだから、天気予報がそれを取っちゃいかんっていう理屈。
だから、安野さんは、自分のファンから、「どんな絵の具使ってるんですか?」って質問されても、とりあえず答えはするけど、「それ、自分で見つけるほうがいいのに・・・」と毎回思うらしい。
そういうことですよね。

「答え」があると、人は考えることを止める。
「答え」が見つからないかぎり、人は考え続けることができる。

「秋の空はなんでこんなに高いのかね」に対する「科学的な解答」を拒否した僕は、まだまだ考えが続いていく。
あれかね。10月の空の高さは「神無月」と関係あんのかね、とか。
神様が全員、出雲に出払ってるから、そのぶん、空の見晴らしがいいのかね、とか。
じゃあ、「湿度」ってのは、「神様」の別称のことなのかね、とか。
だから、ウェッティーな日本は、湿度が高い分だけたくさんの神様がいるのかね、とかさ。
そう思えば、森には多神教が生まれ、砂漠には一神教が生まれるっていうのともつながるね、とかさ。

「答え」はあったほうがいい場合もあるけど、ないほうが長持ちすることは確かですよね。

 

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