竹原ピストル。
職業、歌手。
各方面の著名人から絶賛されながらも、
いまだ、ギター片手に、
全国の小さなライブ小屋をドサ回りしている歌うたい。
今の時代のアーティストに求められる要素をほぼ持っていない歌うたい。
ポップさ、速めのBPM、作り込まれたビジュアル。
電子音、中毒性、エンターテイメント性。
全部無い。
なに一つない。
そんな竹原ピストルの歌を聴いていると、ある言葉を思い出す。
「江戸文化は、はぐらかし文化」
江戸時代に花開いた文化は、
「この世は浮世だ」と現世を肯定した町人たちによって担われた。
システムが安定していた江戸時代には、
戦争や動乱時代に生まれるような深く重いテーマの芸術でなく、
軽く薄い、享楽的で通俗的な文化が好まれた(特に化政文化)。
それを後に誰かが「はぐらかし文化」と呼んだ。
はぐらかし。
生きることをはぐらかす。
死ぬことをはぐらかす。
今日も明日もあさっても
平和で安定した日々の中で
何をそんな真剣に考えることがある、と、
ポップなフィクションの中に生きることを、肯定した。
享楽的に生きることを「現実からの逃げ」だとせずに、
こんな世ではそれも仕方ないさと、容認した。
あれから200年。
平成時代も、同じように、皆がはぐらかして生きている。
いろんな原因が重なったせいで、皆がしょうがなく、
フィクションにもたれかかって生きることを容認した文化。
リアルな問題を先送りすることを「逃げ」と呼ばないことにした文化。
苦しむくらいならはぐらかしていい。
悲しむくらいならはぐらかしていい。
かつて弱者への方便として使われていた「はぐらかし」を、
誰でもが簡単に使える「言い訳」にした。
今から200年後、
平成文化も、ポップで享楽的な文化として大いに評価されるのだろう。
だけど、その平成文化の代表的アーティストリストに、
竹原ピストルの名前はおそらく、ない。
皆がはぐらかしていきていた時代に、ひとり、
「本当にはぐらかしてていいのかい?」
と問うた男の名は、誰にも思い返されない。
彼は平成文化を代表しない。
それならば、今、この時代に、評価されてほしい。
生きているうちに、死ぬほど、評価されて欲しい。
竹原ピストル最新シングル「Forever Young」
イン・ストアーズ・ナウ。
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