スマートフォンが普及するようになって、人は約束をすぐに変更するようになった。
会う場所も会う時間も、だいたいで合わせておいて、直前の状況に応じて決める。
そうやって自分の状況をすぐに伝えられるようになって、
僕たちは、約束を重要視しなくなった。
もしくは、約束をしなくなった。
約束は、人を縛る。
スマートフォンがなかった頃、
もしくは、もっと以前の電話がなかった頃、
人は、約束にあわせて動いていた。
急な予定変更や不測の事態が起こっても、
そのことを知らせる手段をもたなかった私たちは、
自分の事情よりも、なんとか、約束を優先させなければと思っていた。
約束、それは、ことば。
ことばは変わらない。
一週間前に言った「一緒に御飯を食べよう」は
録音しておけばわかるように、一週間後に聞いても「一緒に御飯を食べよう」だ。
それに対して、人は変わる。
一週間前に行きたかったはずの「ご飯」も、
一週間後には行きたくなくなっていたりする。
日によって、場所によって、人の気分や状態はどんどん変わる。
変わるからこそ、人は変わらないものをよりどころにしなければいけない。
そう、哲学者の池田晶子は言っていた。
変わらないものがない社会では、人は、あっちへふらふら、
こっちへふらふらしてしまう。
”スマホの時代”は、言葉を軽視する時代でもある。
約束よりも気分を、言葉よりも感情を優先する時代。
そういう、変わることが当たり前だと思う社会からは、
「考える」ということが消える。
「考える」ことは、ことばを使ってしかできないので、
ことばを軽視した社会からは、思想と哲学が消え、
人の感覚だけに振り回された社会は、漂流していく。
ことばを失った社会は、
進むべき道も、進むべき道を考える手段も失う。
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