だいぶ、外が暖かくなってきた。
朝は日によって肌寒い日もあるが、
夜はだいぶ風が生ぬるくなった。
仕事帰り、暗くなった夜道を家に向かって歩いていると、
どこからか花のにおいがする。
なんのにおいだろう。
これ、なんていう花の名前だろう。
昨日もおとといも香った花の名前を知りたいと思ったが、
ぼくの隣には誰もいない。
しかたがないので、翌日、仕事場でいろんな人に聞いてみるが、
誰も、夜に、そんな花はにおっていないという。
うちの近くにしか咲いていない花だろうか。
それとも、嗅いだことを忘れてしまう花の香りなのだろうか。
においや味は言葉にしづらいので、
その場にいないと、誰かに聞いたり伝えたりすることができない。
あの花の名前を知るためには、誰かが僕と一緒に帰らなければいけない。
こういう時、「口承文化」の衰退を感じる。
人は文字を持つようになり、印刷文化が発達するようになってから、
それまで口から口に世代を超えて伝えてきたことを、文字で伝えるようになった。
それ自体は人類の文化を多いに発展させたが、
文字で伝えることが多くなりすぎたために、
”口から口でしか伝わらないものがある”ということを忘れるようになってしまった。
生活の中にある知恵や教えは、わざわざ誰かが文字にして書くこともないので、
世代から世代へと口と耳を持って伝えていかなければいけないことも多い。
特に、味やにおいに関することは、文字や動画では伝わりにくいのだから、
その場で、そこにいる人に、言葉で、伝えてほしいのに、
初夏の夜に香りを放つ花の名前を知っている人は、
たぶん、その花の名を知っていることを大したことだと思っていないのだろう。
だれかが運よくそこに居合わせて聞かない限り、あえて教えようとしたりしない。
聞かれてもないのに教えようとするおせっかいはいなくなった。
誰も教えてくれないからわかないままの花の名。
でも、もしかしたら、ツイッターなんかしている人たちの中には、
おせっかいがいるかもしれない。
今夜、ハッシュタグ「初夏の夜の花のにおい」で検索してみようかな。
あそこの中にはまだ、聞かれてもないのに、いろいろ教えてくれるおせっかいな人は
たくさんいそうだしな。
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