九州で育つと、テレビから聞こえてくる関西弁にそれほど違和感を感じない。
その中で、ただ、唯一、「ん?」と思うのが、「うち、ピクルス、よー食べん」という関西人の言い方である。
「よー食べん」というのは、九州でも、標準語でも、あまり聞き慣れない表現だが、言語学の本によると、これは「可能」の中でも、「能力可能」を表す表現だという。
日本語の助動詞「る・らる」には、「可能・受身・自発・尊敬」と多くの意味が載っけられている。
標準語では、これらの意味すべてを、「食べられる」と表現するが、関西弁では、この中の「可能」を二つの言い方にわける。
話し手の「能力」によって「できる/できない」が決定する時は、「よー食べん(能力可能)」。
話し手を囲む環境によって「できる/できない」が決まる時には、「食べられん(状況可能)」と言うという分類である。
その分類に従えば、北部九州でも、「能力可能」を「食べきる/きらん」、「状況可能」を「食べられる/られん」と表現するので、分類上は馴染みのある表現だったということである。
北部九州弁では、「食べきらん(能力可能)」と同じ表現に、「食べえん」という言い方もあり、この「えん」はおそらく、「禁じ”得ない”」「起こり”得ない”」という時の「えない」で、標準語では、決まった動詞にしかくっつかない表現になっているが、方言ではどんな動詞にもくっつき生き残っている(「走いえん」「投げえん」など)。
他にも、言語分類学によると、標準語では一緒くたになっている「進行」と「結果」表現が、方言では分かれていることが多いという。
標準語で「桜が散っている」というと、それは「(今)散っている(進行)」と、「(すでに)散ってしまった(完了)」の両方を表す。
それが、方言では、「進行」と「結果」が別々の表現になる。
宇和島弁:「散りよる(進行)」/「散っとる(完了)」
佐賀弁;「散りよー(進行)/「散っとー(完了)」
こうした点において、方言は標準語よりも複雑な形式を有するが、世界を見わたすと、むしろ、こちらの形式のほうがメジャーであり、日本の標準語のほうがマイナーなのだという。
土着的に発展した言葉は自然とそうなるようにできているのだろうか。
方言でしか表現できないことは多くあるものだが、それは文法的にいってもそうだということがわかって、なによりである。
参考:工藤真由美・八亀裕美『複数の日本語』