外食と手料理は、ぜんぜん違う。
小さい頃は、ほとんど連れていってもらうことのなかった外食が
この上ない日常のイベントごとだったが、
大人になると、外食より家で手料理を食べる方がよっぽど嬉しい。
以前、家で彼女に手料理を振る舞ってもらっていると、
あまりのおいしさに、ごはんを三杯おかわりし、
やっぱり手料理ってのはおいしいなと思いながら、
おかずに勢い良く箸を伸ばしていると、
「ねえ?おいしいの?」と、
彼女がちょと強めに聞いてきた。
ふと顔を上げると、
その顔には、いらだちがありありと表れていたので、
「なんで?ほら、見てよ、ご飯三杯目。おいしいに決まってんじゃん」
そう言って、お茶碗を見せると、
「ちゃんと口で言わなきゃ、わからないよ!」と、台拭きを投げられた。
言葉にしなくても、言葉以上に正直な行動で示しているつもりだった僕は、
言葉にしなきゃ伝わらないということを、台拭きの湿り気でもって知った。
本当は、「口で”おいしい”って言ったって、行動が伴ってなければ嘘じゃない。
僕がブータンに行った時、ブータン人に出されたバター茶を、
口では”おいしいおいしい”って飲んでたけど、
コップの中のバター茶は全然減ってなかったもんね」
と、言葉より行動の方が信憑性があると主張したかったが、
台拭きが飛んできた以上、黙るしかなかった。
高校生の頃、アメリカ人の家にホームステイしていたことがある。
ある夜、ホストファミリーの人たちとご飯を食べていると、
「ちゃんと日本の家族には、近況を報告しているか」
と、これがアメリカ人だと言わんばかりに太ったホストファミリーのお父さんが聞いてきたので、
「うん、たまにね」と返すと、
「ちゃんとアイラブユーって言ってるだろうな」と思いもよらないことを言ってきたので、
「そんなこと言うわけないじゃない」と答えると、
ホストファミリーのお父さんは、
「言わないの?なんで?」
と怪訝な顔をした。
その隣で、これがアメリカ人だと言わんばかりに太ったお父さんよりももうワンサイズ太ったホストファミリーのお母さんは、
「それは、ほんとなの・・・」と目をまんまるくして、
ミートローフをフォークで刺したまま手を止めていたので、
「日本では普通そんなこと言わないし、そんなこと親子で言い合うことはまずない」
と日本の事情を説明した。
「いままで親にアイラブユーって言われたことがないの?」
「ないよ」
「一回も?」
「一回も」
そう、日本とアメリカ社会がいかに違うかを教えてあげた夕食の会話は、
「かわいそうに・・・」
という、ホストのお母さんの、発言ともつぶやきとも取れないような一言で終わった。
それまで考えたこともなかったが、どうやら僕は、かわいそうな子らしかった。
初めて見たアメリカ人の親子たちは、
どの家庭でも、「アイラブユー」「アイラブユー」と、
ことあるごとに肩をさすっては、愛情を口に出して表現していた。
なんでそんなことをいちいち口にするんだろうな。
恥ずかしくないのかな。
もしかしたら、言葉にして普段から確認していないと不安なのかもしれないなと
訝しんでみたりもしたが、
彼らからすれば、それまで一度も両親にアイラブユーと言われなかった僕の方が、
かわいそうな子だったのだ。
なんでも言葉にする国の住民には、
あえて言葉にしない国の習慣は、奇異にしか映らない。
言葉にしないということは「察する」ということでもある。
家族間であっても、お互いの思いや考えを察する日本人は、
自分の思いをむやみに言葉にしたりしない。
中学・高校時代、弁当持参が必須だった学校に通っていたので、
僕の母親は毎朝、兄弟三人分の弁当を作ってくれた。
それ自体は、当然ありがたいことだったのだが、
母親が作るお弁当はシンプルなもので、友達のお弁当を覗き見ては、
もっとおかずが豪華だったらなあと思っていた。
ただ、そうは思っても、毎朝わざわざ作ってくれている母親を思い、
その小さな不満はあえて口に出さずに、心にしまっておいた。
それが、ある夜、何かの流れでお弁当の話になり、
その小さな不満を言ってもよさそうな雰囲気だったので、
「もっとおかずいっぱいあったらいいなあ」とちょっと勇気をだして
それまで口にしなかったことを言うと
「だって、あんた小学校の時、おかずは極力いらんって言うたやんね」
と思わぬ返答をされた。
母の記憶では、僕が小学生の頃、少年野球でお弁当を持っていく際、
真夏の炎天下ではあまり食欲も沸かないからと、
「お弁当は基本、おにぎりと少しのおかずでいい」と僕が言っていたというのだ。
そのことが頭にある母は、中学でも高校でも、”息子のためを思って”、
極力少ないおかずをお弁当に詰めていたのだと。
なんてこった・・・。
もっと早くに言っていればよかった。
もう、ほとんど、お弁当の機会ないじゃん・・・
もっと早く言葉にしておくんだった・・・。
この20年くらいで、皆が携帯を持つようになり、
家族内でコミュニケーションを取るためのツールも増えた。
これまで冷蔵庫の貼り紙でしか伝達しあえなかったことも、
簡単に、LINEやメールで、要件を伝えられるようになった。
家族が遠く離れていて、たまに電話で話すしかなかった間柄でも、
写真や動画を簡単に送りあえるようになった。
伝えられる情報の量も、情報の伝えやすさも、かくだんにあがった。
ただ、伝えられる量が増えたからといって、
日本人が、前より、心で思っていることを言葉にするようになったわけではない。
いまだに日本人は、自分の子どもに向かって「アイラブユー」とは言わないし、
「弁当のおかずをもっと増やしてくれ」と親にあえて言うこともない。
簡単にものが言えるようになっても、
日本人は、黙ったまんま。
あまりに言葉にしないために、
たまに、「ちゃんと口で言わなきゃ、わからないよ!」と
台拭きを投げつけるほどの怒りを覚えることが日本人同士でも起こり得るが、
その怒りは、台拭きを投げるという行為でしか伝わらなかったりする。
どこまでいっても以心伝心。
ツールで国民性は変わらないのだ。
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