「ここに世界中の神様をズラーって並べるから、どれでも好きなのを選べ」って迫られたら、僕は「路傍の神様」を選ぶ。
即座に。迷いなくよ。
いや、やっぱり、迷いなくではなく、皆の反応見てから。
やっぱり皆に人気ある神ってのがいるし、人のためにあえて残しておきたい神様もいるし、自分が役回り的に何の神様取るべきかって自問自答すると、それは、やっぱり、迷わずの「路傍の神」。
「路傍の神」ってのは、道祖神とか、庚申塔とか、塞の神って言われる、つまりは、道ばたにいる神様のことで、政治的にも、宗教的にも、どこのシンパにもセクトにも属しているつもりのない僕だけど、「道ばた派」ののタスキなら肩にかけることも、やぶさかではないと感じる。
でも、たとえ、道ばた派の代表になっても、「道ばた派」というのはうろうろすることが信条みたいなものだし、「路傍の神」はうろうろする人を見守ることだけが役目だから、教義を細かく決めたがる宗教とか、立派な社や宮を建てたがる信仰とは違って、我々には、言葉や形でなにかを表明することがほとんどない。
道と道が交差したところに石がぽんとひとつ置いてあるのが「路傍の神」の形だったりするから、「道ばた派」の神の意思を汲む我々としても、世間の中をうろうろしている、路傍の神が手を差し伸べるだろう人々に対して、宿を貸すくらいしか、やるべきことはない。