高校生の頃、深夜ラジオを好んで聴いていたので、
聞く気もないラジオ番組がよく部屋に流れていた。
ある日の夜流れてきたのは、「お悩み相談」的な番組で、
どこかのおばちゃんが、職場の上司への不満をぶちまけていた。
相談しているのもおばちゃんなら、相談されているのもおばちゃんで、
相談役のおばちゃんは「ふんふん」と悩めるおばちゃんの悩みを聞いていたが、
急に、途中で、話をさえぎり、
「それは、あんたが悪い。あんたは、上司のメンツを潰している」と言った。
言われたおばちゃんは絶句していたが、
聞いていた僕も、リスナーからの「お悩み相談」なのに、
そんなに正面切って説教するなんて、たいがいだなと思った。
そういえば、宮藤官九郎脚本のドラマに、『ごめんね青春』という名作がある。
その中で、マラソン大会を前にして、
他校の生徒に挑発された生徒たちの指導に当たる先生は、
黒板に「面子(メンツ)」と書いて、生徒に問いかけた。
先生「これ、なんて読む?」
生徒「めんこ」
先生「・・・。これで、メンツと読む。
元々は、中国語で、顔とか、面目とか、世間体とか、そういう意味だ。
傷がつくと、ケンカになるやつだ」
そういって、先生は、挑発してきた相手に勝つ負けるではなく、
自分たちのメンツのために、精一杯やれと励ます。
人はメンツを傷つけられると腹をたてる。
特に、男は、メンツを異常に気にする。
『お悩み相談』のおばちゃんは、
「どんなことがあっても、男のメンツは潰しちゃいけない」と
悩めるおばちゃんに滔々と説いた。
『ごめんね青春』の先生は、生徒たちに、メンツの説明として、
「傷がつくと、ケンカになるやつだ」と説明した。
どちらも、メンツ自体の説明はせずに、
メンツの「取扱い方」を説明する。
世の人たちは、”それそのものがどういうものか”ではなく、
”それをどう扱い、どう対処すればいいのか”を、人に教える。
そのことは「道」や「処世術」と呼ばれるものに近く、
「哲学」からはほど遠い。
「哲学」は、それがなんであるかを考えるもの。
「日本は哲学があまり育たない」とも言われるし、
「最近の日本人には哲学がない」という言い方もされるが、
哲学をするためには、”それ”自体がなんなのかを考えなくてはならない。
例えば、”それ”がメンツなら、「どうすればメンツを潰さないか」ではなく、
「メンツとはなんなのか」を。
もし、それがメンツではなくメンコであっても、
「どうすればメンコをひっくり返せるか」ではなく、
「メンコとは何なのか」を。
メンコのうまい取り方を考えずに、メンコとは何なのかを考えている人は
明らかに変人だが、
哲学とはそういうことだ。
ほとんどの人は、うまいメンコの取り方を考えていてもいいが、
世の中の一部の人には、そういう変なことを考えてもらわないと、
この国は、処世術に長けた人ばかりになってしまう。
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