内田篤人が帰ってくる。かもしれない。
「うっちー」の愛称でおなじみ、元サッカー日本代表、
ドイツ・シャルケの内田は膝の怪我で2014年の3月以来
ピッチにたっていなかったが、
膝の回復経過が良好というニュースが入ってきた。
内田の動向はなんだかんだ気になっている。
海外のクラブチームで活躍するサッカー選手の中でも
圧倒的なビジュアルを誇り、
結婚しても女性人気が衰えない内田だが、
そんな理由で内田を気にしているわけでは、ない。
別に「イケメン」に興味はない。
顔ではなく、内田の「姿勢」に興味があるのかもしれない。
ブラジルW杯最終予選で、多くの選手が強気な言葉を
カメラの前で口にし、少々気負っているようにみえる中、
内田は一人、「普通に90分やればいい」と語っていた。
至って平静。
いつも平常心。
そういうところに興味を持つのかもしれない。
ブラジルW杯に敗退したことで、ザッケローニ監督は、
大会前のように多くの報道陣に囲まれることなく
とぼとぼ空港からイタリアへ帰った。
その時、「敗軍の将」をサプライズで見送りに来たのが、
キャプテンの長谷部と内田だった。
世間からは見放されたが、お互いの信頼関係は変わらなかった。
なんだか、千利休が秀吉に蟄居を命じられて境に下る際に
古田織部と細川三斎だけが見送りにきていた時みたいだった。
内田のそういうところに興味が湧くのかもしれない。
いや、そういうことではなく、内田の「言葉」に
関心があるのかもしれない。
W杯前のチームの勇ましさから考えると、
無残ともいえる敗戦結果に対して内田は、
「世界は近いけど広いなあ」と言った。
「世界は、広い」。
「(負けたけど)世界は近い」と聞けば、勇ましく聞こえる。
(あるいは負け惜しみに聞こえる)、
「(今の現状では)世界は遠い」と聞けば、絶望的に聞こえる。
(あるいは結果が結果だけに、謙虚に聞こえる)
だが、内田は、「世界は広い」と言った。
なるほど。
世界は「遠い」「近い」ではなく、「広い」のだ。
スポーツは娯楽であり、文化でもある。
スポーツの試合、大会自体は「点数」という結果でしか
両者の差を表さないが、
そこには数字に現れない差がいくらでもある。
技術的にはだいぶ近づいたように思える
日本と欧米サッカーとの距離も、
文化としてのサッカーで見ると、大きな違いがある。
「広さ」とはバラエティのことだ。
サッカーが文化として根付いている国には、
サッカーで成功した人、失敗した人、
サッカーで生きている人、死んだ人がたくさんいる。
サッカーに対して色んな関わり方があり、
サッカーに対する色んな楽しみ方を知っている。
どんなに日本サッカーがこの20年で技術的に
世界のトップレベルに追いついても、
社会に文化としてのサッカーが根付かない限り、
試合結果に表れない差は、なかなか簡単には埋まらない。
それを内田は「広い」と言った。
ウッチー、いい「言葉」を持っている。
やはり、内田の言葉に惹かれているのかな。
そう思っていたら、昨日、内田に姉と妹がいることを知った。
姉、自分、妹。
自分と同じだ。
なるほど。
誰かに興味をもってついつい目で追ってしまう理由を、
意識は、言葉とか姿勢とかビジュアルなんかに求めてしまうが、
案外、兄弟構成とか、そういう大した事ない自分との共通点を
なんとなく感じ取っているからという理由なのかもしれない。
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