熱い水を「湯」という。
冷たい水は「水」という。
英語では湯も水も「Water」という。
湯は「hot water」
水は「cold water」
日本語に「湯」という言葉があるということは、
日本人は熱い水と冷たい水にきちんと違いを見ていたということでもある。
「湯」は「熱い水」ではいけなかった。
日本に住む人にとって「湯」と「水」は違うものだった。
そこに違いを見いだしていれば、言葉は変わる。
雪が多い国では、雪に関する言葉がたくさんあり、
雨の多い国では、雨に関する言葉が多くある。
日本語には人を罵る言葉が少ないということを聞く。
欧米や中国に比べ、過激な罵り言葉がないという。
他国の言葉は比較するほど知らないけれど、
イタリア語やドイツ語には、
「くそ」だけで何種類もあるらしい。
彼らは、色んな「くそ」に、違いを見出しているのだ。
彼らには、それらが同じ「くそ」であってはいけない
理由があるのだ。
ある中国系のウェブサイトによると、
中国では「性」と「先祖」を罵ることが最大の罵りだという。
それに対して日本人は、国民性として他国よりも「性」にオープンで、
先祖よりも社会的地位を重んじるので、
「性」や「先祖」などを罵る言葉が少なく、
中国人は本国で自分達が使っているような罵り言葉を
日本語の中に見つけられないのだという。
確かに日本語は、敬語を重要視していることでわかるように、
「言葉」というより、「関係」で人を罵るのかもしれない。
敬語を使わなければいけない人に対して「タメ口」をきくだけで、
それは、罵りになる。
肩書で呼ばなければいけない人を、さん付けで呼ぶだけで、
それは明らかな「軽視」だし、ファーストネームで呼んだら、
それは「不敬」だ。
日本語では、言葉として強烈な罵倒をしなくても、
十分に人を罵ることができるのだろう。
人を一番簡単に罵っているのは、多分10代の不良達だと思うが、
アメリカ映画の中にいる不良たちが、
聞くに耐えないような言葉を吐いているのに比べて、
日本の不良は、スクリーンの中でも結構おとなしい。
口は悪くて汚いが、意味のある罵りが出来ていない。
「関係」を抜きにして、ただ言葉だけで相手を罵倒するのは、
日本語には向いていないのだろう。
昔の不良は、学ランの裏に
「天上天下唯我独尊」とお釈迦様の言葉を刺繍していたと聞く。
アメリカのギャングが、キリストの言葉をジャンパーの裏に刺繍している
なんて聞いたこともない。
日本では不良でさえ、釈迦の言葉に興味をもっている。
罵る言葉になんて、興味を持たないのも当然だ。
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