こどもの頃、還暦の人は赤いちゃんちゃんこを着せられていた。
始めて見たちゃんちゃんこ姿の人は、長嶋茂雄監督だった。
次に見たのが、ジャイアント馬場。
あれ、逆だったかな。
どっちでもいいけど、とにかくおじいさんになると、
周りから赤いちゃんちゃんこを着せられるのだとその時知った。
近頃は、寿命も長くなり、食環境も衛生環境も整っているので、
60歳はそんなにおじいさんではなくなった。
定年も60から65に引き上げられるなど、
60は、まだまだ頑張らなければならない年齢だ。
「隠居」なんていう言葉も遠い昔の言葉になってしまった。
生まれた時から順に数え、歴がぐるっと一周回ったよという
「還暦」の考え方はいい考え方だと思うし、
還暦すぎたおじいさんはさっさと「隠居」して、
世間以外のことを考えながら暮らしてくださいという考えも、
なかなかいい仕組みだと思うけど、
還暦を積極的に受け入れている老人は、
80年前でもあまりいなかったのかもしれない。
民俗学者の柳田国男は、周りに還暦祝いをされようとして、
「(あんなの)呑気な江戸の町人隠居のやること」と言い、
頑なに拒んでいた。
柳田国男が還暦を迎えた80年前の1935年は、
まだまだ民俗学が正当な学問として認められておらず、
民俗学の大黒柱であった柳田国男は、
アカデミー界の市民権を獲得するために、
まだまだ民俗学の仕事に打ち込まなければいけなかった。
「文明の生態史観」で有名な、
民族学者の梅棹忠夫も還暦を拒んでいた。
梅棹の還暦時に「還暦記念論文集」を刊行しようと、
周りの弟子たちは画策していたが、
まだまだ振り返る時期ではないと、梅棹は断った。
国立民族学博物館を立ち上げるという大事業に時間を
取られていた梅棹には、まだまだやりたいことがあった。
「民博(国立民族博物館)がようやく軌道にのって、
これから失われた青春を取り戻そうというときに
「総括」されてしまってはかなわない」。
二人とも、還暦過ぎても精力的に研究を続けた学者だった。
権力を持った高齢者がずっと業界で影響力を持ち続けることを、
最近では「老害」という。
もしかしたら、民俗学や民族学の業界の中にも、
「あの人、はやく引退してくれないかなあ」と
思う後進たちがいたかもしれない。
いたかもしれないが、世間の人達から見れば、民俗学も
民族学も、何の役にたつのかさっぱりわからない仕事だ。
若かろうが還暦だろうが、世間から見ると変な学者なんて、
ずっと隠居しているようなものなのかもしれない。
考えることに終わりはない。
そう考えると、還暦はやはり江戸の町人のものだったのだろう。
世間の世代交代を促し、当人を世間から剥がしてやるための
システムだ。
初めから世間の外にいる人に、ちゃんちゃんこは不要なのだ。
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