「馬頭観音」という仏様がいる。
観音様の変化身の一つだが、
観音様にしては珍しく憤怒の顔をしておられる。
「馬頭」の名前通り、日本の民間信仰では、
死んだ馬の供養として各地の路傍に建てられている。
中世は荷物運びに馬が利用されたので、
険しい山道などで足を滑らせ崖から落ちる馬も多くあり、
その供養として「馬頭観音」が多く建てられた。
そう思っていたら、大学の時読んだ本に、
馬は誤って足を滑らせたのではないという
ある老人の話が載っていた。
馬は事故で死んだのではなく、自ら死を選んだのだと。
中々面白い話だったので10年たっても忘れておらず、
先日、友人にメールで教えてあげた。
—————————————————————-
じいさんは云う。
馬は事故で死んだんじゃない。
ワシらは、事故で死んだ哀れな馬を供養するために
馬頭観音を建立しとったんではないんじゃ。
山の中には時空の切れ目のようなものがあってのぉ。
この世とあの世を継ぐ裂け目と言うてもいいし、
霊界とを結ぶ裂け目、
神の世界をのぞく裂け目というてもいい。
この裂け目は人間にはみえんが、わかる動物にはわかる。
そしてこの裂け目は
誰かが命を投げ出さんと埋まることはないんじゃ。
埋まらん限り、永遠に口をあけて、
その裂け目に堕ちる者を待つ。
もちろんその裂け目に堕ちた者は命を落とす。
旅の途中、山道で馬はこの裂け目をみつけてしまうんじゃ。
「ああ。」
そりゃあ馬だって死にとうないから、
いつもはそこを避けて通る。
避ければなんともないもんじゃからの。
ただ、人間にはその裂け目が見えん。
共に旅をしている飼い主が知らずに
その裂け目に足を踏み入れそうになることもあったろう。
山道は狭い。
舗装なんぞされとらん。天候が悪ければなおさらじゃ。
激しい雨の中、ぬかるんだ足元を気にしながら
人間は裂け目に近づいたんじゃろう。
視界は悪い。
馬は飼い主を鼻で押して裂け目を知らせる余裕もない。
人間はただでさえあの世への入口が見えないのに、
雨のせいで更に危ない一角に足を踏み出している。
「あぶない!」
馬は身を挺して塞ぐんじゃ。
あの世への裂け目を、身を挺して。
馬が山で死ぬ場所はそういうところなんじゃ。
だから人間たちは馬に感謝し、
その霊を弔って「馬頭観音」を建てる。
人間にはあの世への入口は見えんが、
そういう場所があることくらいはわかっとった・・・。
そして馬達がそこに自ら入っていったことも。
長く世話した馬じゃ、何を考えとるかくらいはよぉわかる。
わかるんじゃ・・・。
——————————————————————————
メールを読んだ友人は、内容に興味を示し、
その本を購入したらしい。
そして言った。
「じいさんの言葉、全然、本文と違う!」
どうやら随分、僕の想像が入り込んでいるらしい。
読んでから、10年たってるからな。
どうも、記憶とは、曖昧なものじゃ・・・。
コメント