アメリカの高校に通って驚いたことの一つは、
授業で、だらけた奴が一人もいないことだった。
一限目から2Lのペプシを飲んでる奴はいたし、
寝間着のまま登校して、枕抱えながら授業受けてた奴はいたけど、
机に突っ伏して、だらけて授業を受けている奴は一人もいなかった。
日本では、だらけながら起立して、
だらけたまま礼して、だらけつつ座って、
だらけた姿勢で授業をうけるのが、
思春期の中高生というものだ、くらいに思っていたので、びっくりした。
授業中ポップコーン食ってるくせに、だらけてない!
「アクティブラーニング」という言葉が教育界で「流行っている」。
「能動的、主体的な学び」のことらしく、
これまでの暗記・詰め込み式とは違うメソッドに、
現場の先生たちは、どう準備をしたらいいか頭を悩ませている。
主体的に学び、グループの中で共に学んでいく力は、
「三年で辞める若者」や「コミュ障な若者」が増えていく中で、
社会から要請された力なのだ。
「アクティブラーニング」とは、
噛み砕いて表現すると、「だらけない授業」のことだと思う。
多分、文科省の人は「全然、違う」と言うだろうが、
主体的に取り組み、他の生徒と一緒に、積極的に学ぶというのは、
まず、そういうことだ。
「だらけさせない」
これは、中々難しい。
日本の生徒がだらけているのは、
部活で疲れているからでなく、
授業での学びを「拒否」しているからだ。
アメリカのように積極的に発言しようとせず、
「途上国」の子どものように、貪欲に学ぶ姿勢もない。
授業に積極的に参加したいとも、
しなければとも感じていない。
ただし、「拒否」しているとは言っても、
予備校や塾では勉強しているので、
学びを「拒否」しているわけでなく、
学校の授業を「拒否」しているだけなのだろう。
その生徒の現状を、
「アクティブラーニング」というメソッドで、
「主体的」にしていくというのは、至難の業だろう。
アメリカの生徒は、例えラリってても、だらけてはいなかった。
朝からずっとヘラヘラ体を揺らしながら笑っていた奴でさえ、
授業では積極的に、手をあげていた。
もちろん、ラリってたから、答えは、意味不明だったけど・・・。
「学校は、社会の鏡」といわれる。
アメリカの子ども達は、自分が生きている社会を見て、
例えラリってる時でも、「主体的」に授業に参加する。
社会を変えずに、
学校の中だけ、メソッドでどうにかするのは、中々難しい。
(まだ導入まで時間があるので、試行錯誤していくしかない)
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