11/20 ブックカバーを捨てて、街へ出よう

この世で最もいらないもののひとつは、ブックカバーだと思っている。
街なかで本を読んでいる人の大半は本を紙で覆っているが、
なぜ皆、本をあんなもので覆っているのだろう。
本が汚れないようにとか、カバーが取れないようにという人がいるが、
ブックカバーなんかつけなくてもそんなに本は汚れないし、
カバーが邪魔なら、取って、「裸」で読めばいい。
何を読んでるか、他の人からの視線を気にしたくないから、という人もいるが、
そんなに、何を読んでいるのか人に知られるのが恥ずかしいのだろうか。
そんなに、いかがわしいタイトルの本を読んでいるのだろうか。
隠されると余計に知りたくなるっていうのに・・・。

ただ、僕だって本の表紙を隠したい気持ちがまったくわからないわけではない。
以前、「ウケる技術」という本を立ち読みしていたら笑ってしまい、購入することにしたのだが、
これを電車の中で読んでいる自分を想像してみた。

「ねぇねぇ、見て。あの人、『ウケる技術』読んでるよ」
「ほんとだ。ウケたいんだろうね」
「ウケる話ができなさそうな顔してるもんね」
「『ウケる技術』読んで、勉強するしかないよね」
レジに本を持って行き、カウンターに裏返しで本を置いた僕は、
店員さんからの「ブックカバーお付けしますか?」の問いに、
はじめて、うなづいた。

ただ、はじめて、ブックカバーを頼んだ「ウケる技術」は、
一通り読まれて、人目を気にしなくていい自宅の本棚に並ぶようになっても、
ブックカバーがされたままだった。

それは、自宅に友だちが来た時に見つけられたら、恥ずかしいから。
「こいつ、『ウケる技術』読んでるよ」
「ウケたいんだな」
「ウケる話、全然しないもんな」
電車の中で想像された会話が、家の中でも繰り返される。
そんなこと友だちにこそ、言われたくない。

どんどん本棚の奥の、人目につかない場所に追いやられた「ウケる技術」を見て、

なんで自分の本棚なのに、こんなにこそこそしなきゃいけないんだと思い、
ブックオフに、持って走った。
すっきりした。

人は、何を読んでいるか他人に見られたくないからブックカバーをすると言うのだが、
僕がブックカバーを無駄なものだと思っているのは、まさにその理由で、
人が何を読んでいるのかをこそ知りたいのだ。
本を読むことは個人的な行為なので、あまり、人が本を読む姿を外で見ることがない。
たとえ、ある本が100万部売れたとしても、
その本を読んでいる人を見る機会は、そんなに多くない。
「火花」は230万部売れたらしいが、僕は「火花」を読んでいる人を一人も見たことがない
(僕も読んだことがない)。

230万人が読んでいるはずなのに、その230万人は表に出てこない。
それくらい、人は、本を隠れて読んでいる。
230万部の本でさえそうなのだから、
僕の好きな、ベストセラーにならないような作家の本を読んでいる人を外で見る機会は、めったにない。
スポーツやエンターテインメントのように、
「あれ、よかったよねー」「面白かったよねー」と気軽に気持ちをシェアしたいのに、できない。
ウェブ上には本を読んだ人のコメントがたくさん載っていて、
人の感想は見て知れるけれど、
ほんとは、その人と、直接、あーだこーだ、語りあいたい。

それが高望みなら、せめて、生で、本を読んでいる人を見ていたい。
電車の中で、僕の好きな本を読んでいる人を見ているだけで、
自分の感覚や問題意識を共有できた気になれる。
本当は話しかけて、語り合いたいけど、
そういうわけにもいかないから、見ているだけでいい。

それで、十分。
それなのに、そんな僕のささやかな充足さえ、ブックカバーは阻んでくる。
そんな日々の小さな共感さえ、ブックカバーは邪魔してくる。
世間では、包装紙の削減など、「エコ、エコ」うるさく言われているはずのに、
あってもなくてもどっちでもいいようなブックカバーだけは何故かスルー。
あんな無駄な紙を、何十年もほったらかしている。

あぁ、そうですか。

なんだかんだいって、エコよりも、気持ちのシェアよりも、自身の羞恥心が皆、大事ですか。
ああ、そうですか。
そんなにブックカバーが好きですか?
皆、そんなに恥ずかしい本、読んでるんですか。
そんな隠して、皆、何読んでるんですか?
まさか・・・、「ウケる技術」ですか・・・?

 

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