「体は口ほどにものをいう」
銭湯に行くと、色々な体の人がいて、
服の上からでは想像できなかった、その人の「表情」が読み取れる。
裸の付き合いというが、本当に裸になって普段隠している体を晒すことは、
普段晒している顔以外の部位から、たくさんの情報を与え合えるということだ。
頼りになりそうな裸の人も、信用できなそうな裸の人もいるし、
顔に似合う裸をしている人も、顔に似つかわしくない裸をしている人もいる。
たいていの中年の人は腹が出ているが、腹の出かたも色々だ。
今は、腹周りをウェストといって数値に置き換え、
ある一定数値以上の人に「メタボリック」というラベルを貼るけれど、
「出ている腹」にも色々あって、
どてっぱらも、ビールっ腹も、太鼓っ腹もいるし、
腹に脂肪を詰め込んだだけの「メタボリック」という呼び名にふさわしい腹もある。
アメリカの考えなのか知らないが、腹が出ているのはだめな事だ、なんて考えはよしてほしい。
中年になっても、ジムに通って、ウェストを引き締めるなんていう発想はいらないし、
優良企業のCEOになるためには、メタボであっても喫煙家であってもいけないなんて考えは、
病的だと思う。
六つに割れた中年の腹筋などには、なんの価値もない。
中年の腹は出ていていいのだ。
そして、「出ている腹」にも色々ある。
いいものばっかり食べすぎた結果、内臓周りに脂肪が付きすぎて、
自分の金的が隠れてしまうほど大きくなった腹は、まったく美しくないが、
白髪が生えてくるように、歳を重ねることで、自然に前に出てくる腹は、
まっとうなエイジング(加齢)だ。
博多・山笠(祭)などの祭りで、ふんどしの上にしっかりのっている腹は、信頼の証だ。
中年の体の厚さや大きな腹は、この世で長年生きてきた男たちのリアリズムだ。
それを「メタボ」と呼んで蔑んでしまえば、世の中スリムな男だけになってしまう。
この世には、七福神の布袋さんや恵比寿さんのような、どっぷりとした腹が時に必要とされる。
大阪のビリケンさんや東北の仙台四郎のような、福を運んでくる男たちは、
いつだって立派な腹を持っている。
福が貯まっている立派な腹と、脂肪しか溜まっていないだらしない腹を
同じ呼び名で呼んではいけない。
ましてやこの国では、「肚が据わる」「肚が決まる」と胆力が宿る場所でもあった腹を、
「ウェスト」などと呼んで、数値だけで判断しては、中年の男の良さが消えてしまう。
若者には若者特有の肉体があるように、中年には中年特有の肉体がある。
「出ている腹」には、中年にしか出せない味がある。
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