「なんだって、程だってんだよぉ!」
イヤホンの中で、落語家の五代目・古今亭志ん生が叫んでいる。
「なんだって程度問題なんだ」ってのは、
長く生きた大人ほどわかっていることだ。
若者は、大人ほど「物事は程度なんだ」ということがわからないので、
とかく過激に走りたがって、白黒つけたがる。
まあ、そこが若者の良さだし、
過激に走らないと「革命」も起こらない。
明治維新に奔走した人達も、みんな若かったからできたこと。
ただ、「革命」は、たまにしか起こらないし、起こってもらっても困る。
程度問題がわかってる大人は、
酒もタバコも女も人付き合いも、
悪いこともずるいこともせこいことも、
すべて、「程々」がいいと思っている。
溺れてはいけないが、潔癖すぎてもいけない。
近すぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。
すべては程度なのだと。
だけど、そのグレーが許せない若者は、
政治家は汚い、世の中は間違っている、
先生は卑怯だ、この会社は私に合っていない、と
事を白か黒かに分けたがる。
グレーが受け入れられない。
それはほとんどの若者の考え方で、
高校生の僕も、「整形」と「化粧」の間に大した違いはないと思っていた。
自分は男なので実際にやることはないが、
整形も化粧もどちらも化けるための手段なのだから、
整形しても別に問題ないじゃないかと思っていた。
だけど、だんだん年を重ねるにつれて、
それらはやっぱり違うと思ってくる。
根本を変えてしまう「整形」とと、
日々手をいれて維持しようとする「化粧」は、やっぱり違う。
技術が進歩して、「アイプチ」や「プチ整形」などの、
化粧と整形の間の技術が色々発達しても、
考え方として、それが「程度問題なのかどうか」
という判断基準はなくならない気がする。
若者が事を「程度の差」だと考えずに、
すぐに白黒はっきりとした結論を出そうとするのは、
経験が浅いからだ。
10代の男子にとって、性経験の有無が一大関心事であるように、
彼らは、「0と1」の間に、大きな差異を見る。
それに対して、大人は経験を積んでいる。
大人は、すでに「2と3」、「20と30」の間でしか、
ものを比べていない。
20と30の間には、「程度」の差しかない。
僕はまだ30代なので本当は、
グレーな大人の見方をそんなに擁護したくないし、
若者の大胆なものの割り切り方をくさすなんてしたくないが、
先日、知り合いの薬剤師にこう言われてしまいぎょっとした。
「はい、これ、薬ね。
一日一粒飲んだら、そのうちよくなるから。
でも、一気に飲んだら、そのうち死ぬから」
ややっ。
忘れていたけど、薬はまさに、「程」の産物だ。
ちょっとずつ飲めば効くが、一気に飲めば毒になる。
薬を良薬にするのも毒薬にするのも、「程度」なのだ。
程度をわきまえなければ、薬は薬にならない。
そういう「程の大切さ」を薬で気づくところが、もう、すでに大人だ。
若者は、薬を飲まない。
薬剤師にも会わない。
そりゃ、程度の大切さにも、気づけないよな・・・。
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