芥川賞を取った村田沙耶香さんの「コンビニ人間」が50万部を超えたらしい。
なんだかんだ芥川賞は、影響力がまだまだあるようだ。
一年前にヒットした「火花」のバブルがまだ続いているのかもしれない。
芥川賞の選考委員は、過去に芥川賞を受賞したり、候補になった人達で構成されている。
賞を選ぶのが出版業界人ではなく、既に名の通った作家達なので、
売れそうな本に賞を与えて芥川賞の名声を高めているわけではなく、
単純に面白いと思う本を選んでいるのだろう。
賞を与える側の人たちは過去に賞を受賞していたり、過去に候補に上がった人達で、
これからその賞をもらう可能性のない人たちだ。
もし、選ぶ側が今後選ばれる側になる可能性が残っていたら、
色々、思惑が入ってきて、面倒だと思う。
建築家の坂茂氏が建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を数年前に受賞したが、
坂氏は以前に、プリツカー賞の選考委員をやっていたと聞く。
プリツカー賞の選考方法は知らないけれど、
賞に選ばれる人が以前、賞を選んでいたってのは「アリ」だろうか・・・。
それだと選ぶ側の人が、今後自分が選ばれる側になった時のことを考えて、
色々と、思惑が入ってくる気がするのだが・・・。
選ぶ側と選ばれる側には明らかに「上下」がある。
選ぶ側は与える側で、与えられる側は、賞を与えられるまでじっと待つしかない。
その「不平等」是正措置として、選ばれる側には、その賞を「拒否」するという選択肢が残されている。
「君は、この賞に値する」という、選ぶ側の意向に対して、
「それは違う」と意向を示せるチャンスであり、権利でもある。
哲学者のサルトルはノーベル文学賞に選ばれた際、
「神聖化されることを好まない」という理由で、これを拒否している。
今年のノーベル文学賞に選ばれたボブ・ディランは、
受賞が決まり世界中が騒いでいるにもかかわらず、事務局からの連絡を無視し、
受賞拒否かと思われたが、無事、受賞した。
「では、授賞式に出てくれたまえ」との要請には、
「先約があるから無理」、との返事で返した。
多分、その「先約」は、世間的なものさしでは、取るに足らないような「先約」なのだろう。
サルトルの時代は、賞に権威があるからこそ、それを拒否したが、
ボブ・ディランの時代は、賞を受けようが受けまいが、どっちでもいいくらい、
賞の権威自体が、低くなっていた
(もしくは、ボブ・ディランのせいで、今後、急速に低くなっていく)。
誰がどう考えても、来年のノーベル賞文学賞は、
誰もが文学者と認める作家で、ノーベル文学賞を欲しがっている作家だろう。
二年連続で、受賞を喜んでいるのかどうかわからない態度をされた日には、
賞の権威が一気に疑問視されてしまう。
賞を選ぶ側の人は、その一点にピリピリしながら、受賞者を選ぶのだと思う。
そう思うと、選考委員にしがらみのまったくないような賞でも、
そこに思惑がまったく入ってこないということは、ないのだろう。
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