皆が、周りとシェアしている。
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かわいい動画をシェア。
ビジネスでも、みんなシェアしている。
平日と週末で車をシェア。
使ってない部屋を数日だけシェア。
広い田舎の農園を、都会人でシェア。
最近では、食事でも「シェアしよっか」と
「シェア」という言葉が市民権を得てきたが、
ちょっと前まで、誰も「シェア」なんて言ってなかった。
「分けよう」とか「一緒に食べよう」とか
特定ワードは使わずに表現していた。
でも、九州の年寄りは、皆が「シェア」といいだす前から、
「(お)もやい」という特定ワードを使っていた。
「このまんじゅう、二人でおもやいしんしゃい」
「もやい(催合)」は、
意味としては、「シェア」とほぼ同じだが、
年寄りがよく使うワードだったからか、
ものがない時代の匂いがほんのり、言葉についていた。
「(これしかないから)、二人でおもやいしろ」
「(これしかないけど)、三人でおもやいすればいい」
そう言われて、一個しか無い饅頭を、兄弟や友だちと分け合っていた。
日本に外来語として入ってきた「シェア(share)」は、
「余っている分を分けあって、有効活用する」
こととして使われるが、
年寄りが昔から使っていた「もやい」は、
「足りない分を仲良く分けあって、我慢する」
こととして使われていた。
「シェア」は、ものが余っている時代の言葉で、
「もやい」は、ものがなかった時代の言葉。
「シェア」は、からっとしていて、無機質で、
「もやい」は、じめっとしていて、あたたかい。