昨日もシモの話をしたのに、今日も引き続き、シモの話で申し訳ないが、
韓国の釜山のスタバのトイレに行った時の話。
スタバで本を読んでいると、店内に外の風が入ってきて寒かったからか、
何だか便意を感じたので、店員さんに訪ねて、店の外のトイレに向かった。
スタバが入っているようなビルなので、トイレのピクトグラム(トイレを示すマーク)は
しゃれていて、清潔そうな感じを受けたのだが、
トイレの個室の中には、
使用済みトイレットペーパーを入れるゴミ箱が設置してある。
おしりを拭いた紙は流さず、ゴミ箱へいれるようにお願いします。
使用した紙を水に流してはいけないのは、
水に溶けない紙の問題なのか、トイレの排水の問題なのかは知らないが、
韓国のトイレはよくつまるらしく、紙は流さないのが普通らしい。
他人がゴミ箱に捨てた使用済みトイレットペーパーを一瞥しながら便器に座り、
苦い顔をしながら、ふと、
数年前に起きた韓国のセウォル号沈没事故を思い出した。
セウォル号の事故が起こった当初、韓国のメディアでは悲痛な論調とともに、
「我々は、まだ本当の一等国ではなかった」という言い方がされた。
友だちの韓国人とその話をした時も、
韓国は経済を発展させて外見だけは一等国のふりをしていたが、
本当の一等国ではなかったと、自戒をこめたように振り返っていた。
あの時彼が、なんという単語で「一等国」「二等国」と言ったのかは忘れたが、
一等国とか二等国とか、そういう表現を使うんだなと思った。
なんだか、明治時代みたい。
何をもって一等国、二等国とするのか僕はわからなかったので、ただただ彼の話を聞いていたが、
危機の際どう振る舞うかで国の本当の力量が示される、ということだった。
確かに危機の際に、自分の国が一等国、二等国と考えることもあるのだろうが、
普段のトイレを見て、一等国、二等国と考えることはないのかなと思う。
音姫付きウォシュレットの国から来た僕は、
使用済みトイレットペーパー用ゴミ箱を見ると、
トイレは国としての一等、二等には関係ないのかしら、と思う。
トイレこそ、よその一等国に負けないよう、
常に清潔で、最新のテクノロジーでもって快適にする
という感覚にはならないのだろうか。
女性がアジアやアフリカの国に行って、最もセンシティブになるのは、トイレだ。
普段きれいで衛生的なトイレで用を足している先進国(と呼ばれる国)の女性達は、
途上国(と呼ばれる国)の、清掃が行き届いていないトイレで用を足すことを嫌悪する。
僕は男なので、タイの大便用トイレが簡易的な扉しかなく、
個室というより半個室みたいで、
しゃがむと半個室でもなんでもなく、ただの「まる見え」トイレだったとしても、
「これ扉の意味ないなあ」と思うだけだし、
ブータンのトイレが二階にあって、便が一階の牧草の上に落ちるようになっており、
便の混じった牧草の隣で牛がモウモウ鳴いていても、
「牛がこの後これ食べるんだなあ」と思うだけだけど、
女性はそういうところに敏感だし、
衛生感覚の違いに国の違いを見ていたりする。
僕は何をもって、一等国、二等国とするのかわからないので、
自分の便を確認する前に勝手に便が流れていくような自動洗浄トイレが上等で、
他人の使用済みトイレットペーパーを目にしなきゃいけないトイレが下等とも思わないが、
一等国、二等国ということを気にするのなら、トイレには敏感になった方がいいと思う。
そう思って個室を出ると、手洗い場にはちゃんとハンドソープが設置してあり、
ハンドドライヤーも、結構温かい温風が出てくる。
ここは、ちゃんとしてるんだな・・・。
個人的な順番としては、ハンドソープやハンドドライヤーの設置よりも、
使用済みトイレットペーパー用ゴミ箱の撤去が、先のような気がする。
人が便座の前に立っただけで便座カバーが勝手に開いて、
便座が常に適温に温めているようなトイレマニアの国から見ると、ね・・・。