大関・稀勢の里が初場所を制し、
19年ぶりに日本人横綱が誕生する。
この19年、横綱の席に日本人がいなかったのは改めて驚きだが、
相撲界に日本人横綱がいないという寂しさはあまり感じなかった。
日本人横綱が不在だったこの19年間、
日本の国技を守ったのは、モンゴル人たちだった。
朝青龍がヒールになり、白鵬が歴史的な記録を重ねていくことで、
日本の国技はなんとか人気をキープし、
大関の把瑠都や琴欧洲が奮闘することで、
日本の国技は、面目を保ってきた。
この20年間、日本の国技は、
モンゴル人と東欧人によって支えられてきた。
相撲は、国技としてのしきたりを守ったまま、
外国人を「プレイヤー」として積極的に取り入れる形で”国際化”してきた。
それに対し、柔道はスポーツ化するという方法で、
”国際化”の道をたどってきた。
もともと武道だった柔道は、スポーツとして世界に広がっていく過程で、
欧州主導のルール変更を受け入れたり、
青色の道着を容認したりしながら、
世界中に競技人口を持つ『JUDO』になっていった。
柔道のように、「スタイル」自体を国際化するか、
相撲のように、「スタイル」は残して、「プレイヤー」を国際化するか。
どちらにしても、国際化を免れることはできない。
そう、大学で先生は言っていた気がする。
もし、相撲界がこれまで、日本人力士しか認めていなかったら、
今頃、相撲人気はどうなっていただろうか。
案外、観客動員を大幅に減らしながらも、
「もう21世紀だからね。裸でぶつかりあう時代じゃないでしょ」
と、不人気を、時代のせいにして、
相撲の凋落を、簡単に受け入れていたのかもしれない。
国際化の波は、武道だけに限らない。
料理の世界も、同じ。
ラーメンにしろ寿司にしろ、日本料理は、
その土地土地のスタイルを取り入れながら、
どんどん世界に打って出ている。
ニューヨークではNYスタイルの寿司を、
パリでは、パリスタイルのラーメンを提供して、
各地で人気を博している一方で、
海外に出ず、日本に残ったままの日本料理もある(例えば、そば)。
今後の人口減少によって、そば界が危機に瀕した時、
そば界は、「プレイヤー」としての外国人を受け入れられるだろうか。
そば界は、そばを残すために、
「そば屋の店主はほぼ外国人」という未来を自ら、選択できるだろうか。
日本では、すでに、「人口減少」「高齢化」「少子化」
という言い訳は、用意されている。
その言い訳を使わないためには、どの業界も、
スタイルを変えて世界に出ていくか、
日本に残って外国人プレイヤーを受け入れるか。
その二つしか、道は残されていない、のかもしれない。
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