「翻訳できない世界のことば」という本がある。
ある文化特有の言い回しで、
他の言語に対応する言葉がないような表現を集めた本で、
世界中の「翻訳できない」言葉がイラストとともに紹介されている。
原書には、日本語から、
「KOMOREBI(木漏れ日)」や「BOKETTO(ボケっと)」が
紹介されていたらしいが、
日本語版には、紙数の関係か、それらはカットされ、
「TSUNDOKU」が選ばれていた。
TSUNDOKU(積ん読)。
買ったはいいけど、読まずに部屋の中に積み上げたままの状態のこと。
言葉の語感は最近の言葉のようだけど、
明治時代に普及した言葉で、
「積んでおく」と「読書」をかけた駄洒落的な合成語ということらしい。
最近はむしろ、消えつつある言葉だそうだ。
「近頃、積ん読ばっかしちゃってさぁ〜」。
思い出してみても、自分の口から「積ん読」なんて言った記憶はない。
「翻訳できないことば」として、「積ん読」を選ぶなんて、
センスいいなあと思うけど、
どうやってそれらの言葉を選んだんだろうと、考える。
筆者は、英語圏の20代。
イラストレーターだ。
本の中にピックアップされた日本語だけでなく、
イヌイット語もインドネシア語もあることを考えると、
本人がすべての言葉を知っている上ですべての言葉を集めたわけではなさそうだ。
では、誰かに聞いたのだろうか。
聞くといっても、日本語を知っている人に、
「『積ん読』的な、翻訳しにくい単語、何かない?」と聞いてもでてこないはず。
日本語に通じている人は日本語に慣れすぎていて、
何が「積ん読」的で、何が「積ん読」的でないか、わからない。
では、日本にいる外国人に聞いたのだろうか。
外国人なら、「積ん読」的な単語をピックアップするセンサーは働くだろう。
だけど、「積ん読」はすでに廃れつつある言葉。
外国人コミュニティに、容易に、「積ん読」という言葉が、流れてくるとは思えない。
しかも、日本語以外にも、いくつもの言語から、
これらの「積ん読」的な単語をピックアップしているのだ。
どうやって集めたのか、見当がつかない。
筆者紹介を見ると、もともとは、小さなブログ記事で書いていたらしい。
ウェブを漁ってれば、「積ん読」的な言葉は、見つかられるものなのだろうか・・・。
本の中の「翻訳できないことば」の中で、
心にとまったのは、イヌイットの言葉で、
「IKUTSUARPOK(イクトゥアルポク)」という言葉。
「誰か来ていることを期待して、何度も何度も外に確認しにいくこと」
を表す単語だ。
確かに、日本語に、それにぴったり当たる言葉はない。
「そんな何回も、外に確認しにいっても、しょうがないでしょう。まだ来てないわよ」
とは言っても、
「そんなイクトゥアルポクっても、しょうがないでしょう」と言うような表現はない。
これがイヌイットの言葉だと聞くと、
雪と氷の世界で、
毛皮をかぶった子どもが家の外に何度も出てくる様子が目に浮かぶ。
イヌイット達は、よく「イクトゥアルポクる」のだろう。
そういえばここ最近、「イクトゥアルポク」ってないことに気づく。
子どもの頃は、よく「イクトゥアルポク」ってたけど、
最近、すっかり「イクトゥアルポクら」なくなった。
もしかしたら、イヌイットの世界では、誰かが家を訪ねてくることが、
日本よりも嬉しいことなのかもしれない。
そんなイヌイットの人たちには、
その来訪者が来た時に言うべき日本の言葉を教えてあげよう。
「友、遠方より来たる。また楽しからずや(有朋自遠方来。不亦楽乎)」
何度も家の前で「イクトゥアルポクった」分だけ、
友の来訪は嬉しいものだよね。
ま、これ、日本語じゃないけどね!
コメント