30過ぎた女性なのに、まったく敬語を話さない人に会った。
しかも、茶道の世界で。
外国に生まれて、外国で教育を受けたのなら話もわからなくもないが、
日本生まれ、日本育ちの、純日本人だ。
これまでどうやって行きてきたのだろう。
しかも茶道の世界で。
目の前の高齢のお茶の先生にタメ口で話しかけている。
一瞬にして、場が凍っていくのを感じる。
これ、やばいやつじゃん・・・。
敬語は、日本社会で生きていくための「必須リテラシー」だ。
使いこなせて当然であり、使いこなせないと問題が起こる。
必須だからこそ、その社会の外にいる人からすると、
高いハードルであり、日本社会に入る際の壁になっている。
多くの外国人は、敬語でつまづいている。
しかし、一度身につけてしまえば楽なもので、
敬語で話していれば、お互いの立場がはっきりわかるし、
コミュニケーションが円滑に進む。
必須リテラシーの存在は、日本社会に限らず、どの集団でも同じで、
大企業には大企業の「リテラシー」があり、
美術業界には美術業界の「リテラシー」がある。
身につければ楽に生きれるが、身につけなければ問題が起こる。
逆に、身につきすぎると、
その集団を離れて生きていけないという怖さもある。
公務員のリテラシーが身につきすぎた人は、
中々簡単に、非公務員集団には入っていけない。
日本社会で必須とされている敬語を放棄したその女性は、
毎度毎度が勝負なんだと思う。
日本社会においては、敬語が「通行手形」みたいになっているので、
持っていれば、たいがいの関所はスルーできるが、
持っていなければ、毎回、役人に止められる。
そして、毎回、なぜ自分は手形を持っていないか、
なぜ自分は手形を持っていないにも関わらず、そこを通れるのか、
きちんと説明して、相手を納得させなくてはならない。
多くの人は、それが面倒だから、
敬語というリテラシーを早々に身につける。
場の空気が一気に下がっても気にしない彼女は、
会の最後まで、先生に、タメ口で通した。
最初は表情の硬かった先生も、
お酒の力もあってか、彼女のタメ口をなんとも思わなくなったようだった。
彼女は、関所を通れたのだろうか。
先生を、納得させられたのだろうが。
その答えは、酔いの冷めた明日以降にわかるだろうが、
今後も、彼女に茶道での「いい話」は、回ってこないだろう。
集団の中には、その先生以外にも、何人も関わっている大人たちがいる。
その大人たちを次々と納得させないと、集団では認められない。
乗り越えるべき関所は、まだまだ山のようにあるのだ。
でも、これからも、是非、タメ口で、頑張って欲しい。
援護はしないけど、是非、頑張って欲しい。
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