週末、高校生が家に集まってゲームをしていたというから、
どんなテレビゲームをやっていたのかと思ったら、
「テレビゲームではなく、紙でやるゲームです」という。
インターネットから型紙を印刷し、ハサミで型どおり切ってキャラを作る、
人狼みたいな「推理ゲーム」だといい、
「意外と面白いですよ」と彼らは言う。
今の子どもたちはデジタルネイティブだとか、
スマホ世代は、コミュニケーションの取り方から違うと、大人が言ってみても、
当の高校生は、紙をハサミで切ったゲームで遊んでいる。
戦後に、トントン相撲して遊んでいた子どもらとなんら変わらない。
「21世紀になっても、そんな遊びするんだね」
なんだかんだいって、子どもは子どもだ。
ネットゲームもするのだろうが、紙のゲームでも、同じように楽しめるのだ。
ほっとするような、ほっこりするような話。
ただ、気になるのは、
「21世紀になっても、そんな遊びするんだね」
といった時に、子どもの反応が何もないことだ。
以前も、「21世紀でもまだ、夏休み明けに雑巾持ってくるんだね」
と言ったのに、それを聞いた女子高生たちはキョトンとしていた。
そう、彼らは、生まれがすでに21世紀。
「21世紀」の使い方が、僕らと全然違うのだ。
20世紀を過ごしていない彼らは、21世紀を心待ちにしたことがない。
21世紀がこれからやってくる「未来」ではなかった彼らに、
「すでに21世紀なのに、まだ・・・」
という言い方は、まったく通用しない。
彼らにとって21世紀は輝かしい未来ではなく、淡々と続く現在なのだ。
今の大人たちは、20世紀の最後の5年くらい、ずっとそわそわしてて、
毎週テレビで、「世紀末だ」「2000年問題だ」「ノストラダムスだ」って盛り上がってたし、
実際、世界では、集団自殺するようなカルトもいたのだけれど、
祭りを終えてしまった後に生まれた今の高校生は、
何事もなかったかのように、祭りのあとを生きている。
まあ、当然か。
祭りは終わった。
祭りのあとに生まれた奴らは、次の祭りを待つだけなのだ。
次の祭りは、多分、「東京オリンピック」。
祭りが始まるまで、あと二年半。
そして、祭りが終わるまでも、あと二年半。
そう思うと、世紀末って、けっこう長いスパンの祭りだったんだなあ。
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