「24時間テレビ」では毎年誰かがマラソンを走ることになっている。
なんで走るのかはわからないが、
とにかく誰かが走らねばならない。
去年も一昨年も誰かが走ったので、
今年も誰かが走らなければいけないのだ。
「なんでわざわざ100kmも走んなきゃいけないの?」
そんな、素朴な疑問ははさんではいけない。
先日、スポーツに興味がない人と話していたので、
なぜスポーツに興味がないのか、理由を聞くと、
スポーツが「わざわざやっているからだ」と、その女性は言った。
自分たちでルールを決めて、
自分たちでスケジュールを決めて、
自分たちで競いあっている。
政治や経済のように、人間の生活に欠かせないものでもなく、
人を笑わせたり感動させたり、生活に寄り添ったものでもない。
特に、やる必要があるわけではないことに一生懸命になっている。
それが、スポーツ。
そう思う彼女にとって、スポーツに必死になっている人の姿は、
「DS」や「Wii」や「遊戯王」に夢中になっている子どもと同じように映る。
スポーツしている人は「幼稚」。
彼女の言う通り、もし、スポーツが「幼稚」だとして、
特に、やる必要がないものとしたら、
一体、人がやる必要のあることってなんなのだろうか。
「政治や経済は人間の生活に欠かせない」と言うけれど、
政治家は政治屋で、
自己顕示欲に根ざした政争ばっかりやっているし、
経済も、大きな額を動かしている分野ほどマネーゲームの側面が大きくて、
日々、勃興しているスタートアップのほとんどは、
正直、あってもなくてもどっちでもよさそうなサービスを売りにしている。
(そして、それにとんでもない額の投資がされたりする)
人が、本当にやる必要のあることって、
なんなのだろう。
人は、本当にやる必要のあることだけして、
死ぬまでの数十年間を過ごしていけるものなんだろうか。
今年の「24時間マラソン」はまだ誰が走るか決まっていないらしく、
ツイッター上では、誰が走るのかについての予測が飛び交っている。
その中の一つに、こんな過去のツイートを見つけた。
「24時間テレビのマラソンを見た(うちの)小学生が作った川柳
『しなくても いいことをして 泣いている』」
そう、「24時間テレビ」は、
「しなくてもいいことをして泣いている」番組だ。
この小学生は、正しい。
ただ、人は、チャリティマラソン以外であっても、
しなくてもいいことばかりして泣いている。
しなければいけないことを差し置いて、
しなくてもいいことばかりをし、
泣いたり、笑ったり、怒ったりしている。
素直に気持ちを「5・7・5」にできる、その小学生に聞いてみたい。
「24時間マラソンがしなくていいことだとして、
本当にしなければいけないことって何ですか?」
その答えが、「スポーツ」だったらいいけれど、
「DS」や「Wii」や「遊戯王」だったら、
どうしようかな。
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