「時代を逆上るにしたがって、食卓は質素になっていった」
と書いてみて、ふと思う。
時代は、過去に行くにしたがって「のぼって」いき、
現代や未来に行くにしたがって、
「さがったり」「くだったり」するものなのだろうか。
皆のイメージの中で、過去は「のぼる」ものなのだろうか。
いや、そうじゃないはずだ。
過去は「のぼる」ものではなく、「右」に行くものだ。
だって、学校で見た、歴史の年表はそうなっていた。
古い過去が右のページで、新しい過去が左のページ。
鑑真が右にいたら、近松門左衛門は左。
井原西鶴が左にいたら、ネアンデルタール人はずっと右の端。
過去を「のぼる」という言い方は、過去の一時代を理想化
した儒教思想が影響してるんじゃないかと推測してみる。
今や未来への時間が、「下って」いくものなんて、
だんだん世界が悪くなってるみたいじゃないか。
やめよう、そういうの。
もう「さかのぼる」や、「時代を下る」などという言い方は
しないことにしよう。
過去は右であり、未来は左だ。
なんの話だったっけ。
そうだ。食べ物が質素になる話だ。
昔の食卓は、質素だったのだ。
「時代をさか右るにしたがって、食卓はどんどん質素になる」
ふむ。なるほど。
右へは「さか(逆)れない」。
そもそも時間が過去から未来へ流れていると、
みんなが当たり前に感じているから、
「逆」上るという言い方もでてくる。
右や左では、「逆」れない。
なるほどね。
言葉というものはよくできているものだ。
簡単にみぎひだりでは語れないものがある。
また、一つ賢くなってしまった。
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