5歳位の女の子がカフェのトイレの前にある手洗い場で、一人で手を洗っている。
かかとをあげて、両手を前方に「よっ」と伸ばすと、
水が自動でザーッと太く流れ落ちてきて、両手を濡らしていく。
ああ、あの子にとっては、”ひねらない”のが、当たり前なんだ。
蛇口をひねってしか水が出なかった時代との違いを感じる。
でも、もし、蛇口をキュッとひねって手を洗っていた小学生時代の僕を、僕のばあちゃんが後ろから見ていたら、
ああ、蛇口をひねったら水が出てくるのが当たり前なんだ、と思ったことだろう。
蛇口をひねったら自動で水が出た時代と、水を地下から手押しポンプでギコギコ汲みだしていた時代との違いだ。
手を洗っていた女の子は、洗面台の右に置いてあったペーパータオルの方をちらっと見はしたものの、
ボックスの中のペーパーを取り出す方法がわからなかったのか、
くるっと向きを変えて、スカートで、濡れた両手をゴシゴシ拭きながら、お母さんがいる席に戻っていった。
ああ、こういうところは、いつの時代も変わらない。
子どもは、きれいに洗った手を、きれいなタオルで拭こうなんて考えない。
洗った手も、垂れた鼻水も、額の汗も、口についたクリームも、子どもは、着ている服やそばにあるもので拭く。
子どもにとっては、スカートも、シャツも、体操着入れる袋も、
教室のカーテンも、リビングの絨毯も、ばあちゃんの背中も、全部、タオルだ。
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