4/22 コモディティ化から逃れる

コモデティという言葉がある。
もともとは日用品を指す言葉だが、
ありふれているもの、どれを選んでも大差ないもの
という意味で、コモデティ化という言い方がよく使われる。
「商品がコモディティ化すると、競争力が失われて
 価格が下がり続けます」
経済用語なので、商品としての人にも使われることがある。
「資格や技術を持っていないとコモディティ化してしまう
 ので、高い収入は望めませんよ」
人材として競争力をもたなければならない時代、
他人よりも一つでもできることを増やさなければならない。
他の人材に埋もれるわけにはいかないのだ。

このご時世、英語を話せる人材なんて山程いるので、
やはり二カ国、三カ国語を話せないとコモディティ化から
逃れることはできないと考える。
やはり次は中国語かな、と思い、
中国語を始めようと思う、と友達に告げると、
「やるならラテン語にしろ」という。
ラテン語なんて話し言葉ですらない。
遠い昔の書き言葉だ。
「そんなマイナーな現代社会で使えない言葉を習得しても、
意味が無い」と言うと、
「15億人以上話せる言葉を話して、意味があるのか」
という。
あれ、もし僕が中国語を話せるようになって、
世界で15億1番目の中国語を話せる人材になったら、
僕はコモディティ化から逃れられるんだろうか。
それとも15億人の中に埋もれてしまうのだろうか。

ラテン語を学んだ方が確かに競争相手は少ないだろう。
しかし、僕を必要としてくれる人も少なそうだ。
コモディティ化とはなかなか難しい問題だ。
その友達は、続けて言う。
「ラテン語が嫌なら、サンスクリット語でもいいじゃない」
どうやら聞く相手を間違えたようだ。
彼女の辞書にコモディティ化なんて言葉はないのだろう。
言葉は、自分の世界を広げるために学ぶものだ
分彼女は、そう考えている。

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