目の大きい人がいる。
目の細い人もいる。
切れ長な目の人もどんぐり眼な人も、
タレ目もキツネ目もいる。
でも、目が大きいといっても、メガネザルほど大きくはないし、
キツネ目っていっても、キツネほどキツネ目ではない。
顔が違うといってもたかがしれているのに、
みんなが、小さな顔の違いを気にしてあげつらいあうのは、
顔に対するみんなのセンサーの感度が、抜群にいいからだ。
少しの違いも見逃さない、高性能センサーだ。
『テラフォーマーズ』という、実写化もされた漫画では、
主人公たちが、異星人をやっつけるために、虫の能力を人間に注入する。
手術によって、普通の人間が、「スズメバチ人間」や「バッタ人間」になるのだ。
もしも将来、そんな技術が当たり前の世の中になったら、
プチ整形で二重にするなんてマイナーチェンジじゃなく、
メガネザルの目を人間に、手術で移植できるようになるかもしれない。
そうなると、今、僕らが気にしている目が大きいとか小さいとか、
鼻が低いとか高いとか、エラが張ってるとか張ってないとかは、
誰も気にしないような「僅かな違い」になるだろう。
本当の魚のエラを移植した人を前に、
「私、エラが張ってて・・・」なんて、いえない。
将来、そこまで世界が変わらなくても、
僕らは、日本を出て、外国の世界に目を向けるだけ、
日々気にしているような、些細な違いを気にすることはなくなる。
「もっと白くなりたい」と悩む日本の女の子は、
生まれつき色素の薄いスカンジナビアの女の子を目にすると、
「白い肌って何でいいんだっけか?」と考えはじめるだろう。
違う「違い」をもってきて、「違い」の違わなさに気づく。
たぶん、「教養」って、そういうことに気づくために大事だったりするのだろう。
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