関東の女性と話していて、あることに気付かされた。
「ねえ」
「うん?」
「九州弁で『先生に言った』は、『先生にゆーた』でしょ」
「うん。そがん」
「そがん(笑)。でもさ、『天神に行った』は、『天神に行った』でしょ」
「うん」
「なんで?」
「うん?」
「『いった』だから、『天神にゆーた』じゃないの?」
「天神には、『行った』やねえ。天神には、『ゆわん』ねえ」
「おかしいね」
「おかしかね?」
「おかしかよ(笑)」
「おかしかかね?」
「おかしかかかよ(笑)」
外にいる人は、不思議なところに疑問を持つ。
しかし、中にいる人は、その疑問に対する答えを持っていない。
普段考えもしないことだから。
以前、アメリカ人にこう、聞かれたことがある。
「なんで日本人はみんな小さいのに、相撲取りだけがあんなでかいの?」
僕は、押し黙ってしまった。
普段考えもしないことだったから。
日本人の中ででかい部類の人達が相撲の世界に入って、
いっぱい食べることでさらにでかくなる。
そんな当たり前に思っていたことが、
外から見ると当たり前にみえない。
平均身長の低い日本人の中で、相撲取りだけが、突出してでかくみえる。
指輪物語のホビットとガンダルフみたく、
日本人の中に、もともと違う種族がいるのだと思ったのかもしれない。
なるほど。
外の人は変なところに目をつける。
その時、まだ高校生だった僕は、あいまいな返事でごまかしたが、
十数年経ち、あの時答えられなかった質問を、今なら、答えられるような気がする。
「なんで日本人はみんな小さいのに、相撲取りだけがあんなでかいの?」
「あれは、たくさん食べて大きくしたからですよ」
「でも、普通の日本人とサイズが違いすぎるじゃない。違う種族なんじゃない?」
「いやいや、相撲取りも僕達と同じ種族です。
その証拠に、彼らが引退したら、ちゃんと僕達のサイズに戻ります」
外国の人が変な疑問を持つのは、
親方になった後の力士を見たことがないからだ。
外の人が持つ「疑問」を中の人が持たないのは、
たくさんの具体的な「答え」を経験的に知っているからだ。
親方になって縮んだ後の元力士の姿を見ている僕らは、
力士が頑張って、体を大きくしたことを知っている。
たくさんの具体例を知らない外の人は、そこに「疑問」を持つ。
ただ、もし、彼らが、「相撲取り」という時、
曙太郎や武蔵丸光洋のことを指していたとしたら、それには、また、別の答えが必要だ。
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