「全国高校生クイズ選手権」というテレビ番組が以前あった。
もしかしたら、今もやっているのかも知れない。
「みんな!ニューヨークへ行きたいかあ!」
そうやって、高校生がクイズでアメリカを目指す。
いや、それは違う番組だったかもしれない。
あまり詳しくは知らないが、
高校生クイズは、元々知識を競っていた。
高校生達は、どれだけ知識があるかの勝負を繰り広げていた。
しかし途中で、知識から知力の勝負に変わった。
ただ知っているだけじゃなく、
それを応用しないと勝てない仕組みになった。
それから間もなくして、体力の要素も加わるようになった。
長い距離走って、問題のカードを取りにいくような、
クイズ研究会の部室にこもっているようなガリ勉には
不利な条件が課せられた。
その後、運の要素も加わった。
知力、体力で優っていても運がなければ敗退という、
なんだかあからさまに理不尽な仕組みが追加された。
グローバリゼーションという言葉が流行っていた時には、
決勝でイギリスやアジアの高校生と戦っていた。
問題は英語で出題されていたが、
日本の高校生が強かった覚えがある。
なにしろ「高校生クイズ」というフォーマットが
どうみてもメイドインジャパンだ。
フェアではなかった。
頭の良さを測る指標はたくさんあり、
クイズという指標で測れることはそんなに多くはない。
だからといって問題を複雑な演習にすると、
視聴者がついていけない。
あれはあくまで、ライオン提供のエンターテイメント番組。
ほどほどにわかりやすい問題設定が求められる。
ただ、クイズと違って、この世は一問一答でできてはいない。
一つの問題に一つの答え。そう単純な仕組みではない。
高校を出たら、福留さんも福澤さんもラルフさんも、誰も
「問題です」とは言ってくれなくなる。
社会では、自分で問題は何かを考えなければならない。
問題を考えて、回答を考える。
もしくは、間違った回答から正しい問題を考える。
「全国大人クイズ選手権」では、回答者が出題者であり、
出題者が回答者なのだ。
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