8888

車を買うと「ナンバー」を決めなければならない。
数字に頓着がない人は、何番でも提示されたものを受け取ることになるが、
数字にこだわりがある人は、お金を出して、好きなナンバーを買うことになる。
街には「8888」とか「・・・1」とか、お金を出して買ったであろうナンバーを目にすることがたまにあるが、そうした数字を目にするたび、なんて、自分に自信がある人たちなんだろうと思う。
覚えやすい数字をナンバーにつけるなんて、信じられない。
僕がナンバーをつけるなら、絶対に、覚えにくいナンバーだ。
覚えやすいナンバーなんて、なんかあった時、どうするんだ。すぐに覚えられてしまう。
別に、悪いことをするつもりで日々生きているわけではないが、悪い人にならない自信はない。

それは、ワイドショーで他人のスキャンダルに対して辛辣なコメントする人や、ネットニュースに対して執拗なコメントをする人たちにも感じることで、なぜ自分が同じ立場になるかもと考えないのだろうかと思う。
悪いことをしないつもりでも、悪い人になることはある。
だが、ワイドショーで他人のスキャンダルに対して辛辣なコメントをするような人は、かつて、同じような過ちをすでに犯した人でもあるようなので、「どの口が・・・」とも思うが、自分と他人の行動は分けているらしい。

そう考えれば、覚えやすいナンバーを選ぶ人は、自分が悪い人になったとしても、また、新車を買う際は、そのことを忘れて、覚えやすいナンバーを選ぶのだろう。
そもそも、多くの人は「悪い人」にはならないし、なにかあった際に「悪い人」になるのではなく、正々堂々、「悪者」として罰を受ける人たちなのだろう。
覚えにくいナンバーを選ぼうとする姿勢は、世間の闇に隠れて生きようとする姿勢で、それこそが非難の的かもしれないが、そもそも、車を改造して変なエンジン音にしたり、車の先端に折れやすい高級メーカーのエンブレムを掲げたり、フロントガラスにYAZAWAのタオルを置いてみたり、かつて、正月に、巨大なしめ縄を車のプレート位置につけたりと、車を他の人と違う形にして目立とうという姿勢自体に首をかしげてしまうので、やはり、覚えやすいナンバーは理解不能である。

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