テレビでNBAの試合が放送されている。
久しぶりに、がっつりバスケットの試合を見た。
テレビでバスケットの選手が華麗なプレーをしていると、
自分も華麗になった気分になるが、
もちろんボールを持てば、
ジャンプしてもリングにすら届かない。
先月行われた世界陸上でも、
テレビで100mを9秒台で走っている選手を見ている間は、
自分も風になって走れるような気分になるが、
もちろん、実際は、足が思うように前に出ない。
今の自分は、テレビの中の選手どころか、
高校の時の自分の走りからも遠く離れてしまっているが、
それは実際に走らない限り、バレることがない。
記録として、「50m・〇〇秒」という数字を見せられない限り,
現実に目をそむけたまま、生きていける。
大学生の時、50mを走る機会があったので走ってみると、
タイムが9秒台で、愕然とした。
自分が、9秒台なんて、考えもしなかった。
6秒台の自分のイメージ、更新しなけりゃよかった。
30代になって、足が遅くなっても、走る機会がなくなるわけではない。
後輩と駅まで急いでいて、二人して走っていると、
100mくらい先にある青信号が点滅している。
「先輩、間に合いますよ」
「どうかな」
「先輩なら10秒台でいけるでしょう」
「50mな」
高校生の頃、かっこよかった足の速い人は、
大人になっていくにしたがたって、かっこよくなくなる。
それは、足が遅くなるからではなく、
短距離を速く走ることがたいしたことではなくなるからだ。
人生で、100m走のようなスプリントが要求される場面は、あまりない。
人生は、どちらかというと、長距離に似て、長い。
それは、ただの比喩だから、
生きることと長距離を走ることは関係ないのだけど、
日々を生きていく上で、スタミナがあるに越したことはない。
コメント