ツタヤで借りたDVD「シンデレラ・マン」を見た。
ラッセル・クロウが主役を演じる、ボクシング映画だ。
タイトル通り、主人公が「シンデレラ」のように駆け上がっていくサクセスストーリーだが、
ガラスの靴の代わりに、薄汚れたボクシンググローブが出てくる、
大人のシンデレラ・ストーリーだ。
時は大恐慌時代。
職にありつくのもやっとの生活をしている主人公は、
妻と子どもたちの生活のために、リングにあがる。
「ロッキー」にしても、「ミリオンダラー・ベイビー」にしても、
映画の中のボクサーは自分自身のために戦うのが当然だし、
「あしたのジョー」にしても「はじめの一歩」にしても、
漫画の中のボクサーも自分自身のために戦うのが当然だが、
「シンデレラ・マン」の中の主人公は違う。
家族のために、リングに上がる。
映画終盤、チャンピオンに挑戦することになった主人公は、記者会見の場で、
「何のために戦うのか」と聞かれ、
一言、「ミルク」と答える。
まだ小さい子どもたちを養う父の短い回答。
日本でいうと、「米」のためだろうか。
米のために相撲大会に出場した、マンガ「ドカベン」の青山くんを、ふと、思い出す。
子どもたちのミルクのために戦う心優しきシンデレラマンは、
次第に、大恐慌に苦しめられている市民の希望となり、
多くの声援が彼にむけられるようになる。
家族のために戦っていたつもりが、いつのまにか多くの人のためになる。
それはマンガでも他の映画でも同じ。
マンガ「はじめの一歩」の中で王者として君臨する・鷹村も、
口では「自分のため」といいつつ、
恩人である会長のためにベルトを持ち帰ろうとするし、
映画「ザ・ファイター」の主人公も、自身のために戦いつつ、
同時に、兄の名誉のためにも、戦っている。
現実世界ののボクサーたちも、口では自己顕示欲をむき出しにしているが、
リングサイドにはいつも、献身的な妻や息子思いの父親が座っている。
自分のために頑張っているつもりが、家族や見ている人のためになる。
じぶんのためか、人のためか。
「ミルク」のため。
でも、本当はそうじゃない。
何のためかは、いつも、一言では言いきれない。
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