本は今後なくなる。
そんな「本悲観論」はインターネットが広まり、
人々が当たり前のようにネットで文章を読み、
本が売れなくなってくるとますます強くなった。
いや、インターネットがいかに普及しても本は死なない。
そういう強靭論も聞かれるし、
僕も本という形態がなくなることはないと思うが、
なかなか本の未来は明るくない。
色んな人が並べ立てる「本の強み」も
確かに間違ってはいないんだろうけど、
膝を打つような理屈がない。
本の良さをいまいち説明できないでいるみたいだ。
言葉を運んでくれる本の良さを言葉で語れなかったら、
何を言葉で語れるのだろう。
本に比べてインターネットは、開かれている。
ウィキペディアは誰でも編集可能だし、
ウェブページは簡単に訂正・追記ができる。
本のように完成品を読むのではなく、
常に上書き、上書きしている文章を読んでいる。
インターネットは完成しない。
終わることがない。
そんな終わらないネットに対し、本はちゃんと終わる。
著者も書き終わるし、読者も読み終わる。
根気よく読んでいれば、「カラマーゾフの兄弟」だって、
「失われた時を求めて」だって、
「こち亀」だって「ガラスの仮面」だって、
作者に付き合ってれば、いつかは終わる。
終われば、ちゃんとまた始めることができる。
「死」は最高の発明だと言ったのはスティーブ・ジョブズで、
終わりがあることの意味を晩年説いていた。
しかし本と違ってインターネットは終わらない。
終われない。終わらせない。
ウェブ上の記事を読んでも読んでも、下から下から
どんどん新しい記事が出てくる。
全然、終わらない。終わらせてくれない。
ネットは、僕らの「終わりなき日常」をずーっと続かせる。
インターネットは開かれた知で、
人類全体の知の向上には大変役に立つシステムだと思うが、
個人の知の向上にはあんまり適していない気もする。
まだ、始まったばかりのシステムだからなんとも言えないが、
本が消えてインターネットだけが「知」の手段になったら、
「知」の意味合いも変わり、本との比較もなくなり、
問題にされなくなるかもしれないので、言っておく。
「インターネットは人類全体の知の向上には
役立つかもしれないが、個人の知の向上には
あまり役に立たない可能性がある」
その場合の「人類全体」って誰のことを言っているんだろう。
「人類全体」が賢くなるなんて、んー、そんなことがあるんだろうか。
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