上野の美術館で「ブータン展」がやってるという。
行かねば。
ブータンの話はまた色々あるが、今回は美術館の話。
美術館では一流と言われる人の作品を見ることができる。
ずっと名が語り継がれる人の作品を見て感動することもあるが、
全然感動しないこともある。
世界で最も有名な絵画のうちの一つ、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を見に行った時は、
その人の多さと、特設スペースでの守られた展示に、
作品と向き合うことなどできなくて、まったくの無感動だった。
「一流の画家の絵に感動できるのは、あなたが一流だから」
という言葉を聞いたことがある。
そこで言われる「一流」が何なのかは置いておいても、
その絵の良さがわかるということは(自分では描けないとしても)、
その画家と同じ地平に立っているということでもある。
描けなくても、「わかれば」、それでいい。
ただ、その言葉は、「もし。君が一流の画家の絵に感動できないとしたら、
それは君がそこまで到達していないからだよ」という厳しい言葉でもある。
「モナ・リザ」を無感動で通り過ぎた自分を思い出す。
ルーブル美術館でレオナルド・ダ・ヴィンチを見た後、
アムステルダムでもゴッホの作品をいくつか見たが、何一つ感動を覚えなかった。
日本に帰ったら、友達にしたり顔でゴッホやダ・ヴィンチの良さを吹いてまわるつもりだったのに、作品を見ても、まったくピンとこない。
ってか、人、多っ。邪魔。
パリの他の美術館で見たポリネシアの民俗道具や舞踊面の方が、
よっぽど自分に迫ってくるものがあった。
他にお客さん誰もいなかったし。
「へえ、君、ゴッホの良さがわからないんだあ」
心の中の「一流の人」がつぶやく。
「いや、人が多くて集中できなくて」
言い訳してみるが、作品を見た時感じたもののなさに嘘はない。
「あの絵が発してる美や真実やエネルギーの塊を
キャッチできないとは、可哀想にねえ」
「一流の人」のことばに悲しくなる。
「では、ゴッホの絵から美とやらを取り出してください。
そしたらその美をキャッチしてさしあげましょう」
ぼくの心の中の一休さんは、負け惜しみをいうので精一杯でした。
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