批評的な眼を持っていると、どうしても否定が多くなる。
ある時、首を縦に振るより横に振ることが楽だということに
気づいたが、これは万人に共通だろうか。僕だけだろうか。
いつも「いいね、いいね」と、いいねボタンばかり押している
人は首を縦に振るほうが、楽なんじゃないだろうか。
僕だって首を縦に振って「いいね、いいね」「わかる、わかる」
といいたいが、わからないのにわかるとも言えないし、
わかってほしくない人に「わかる、わかる」と言われると、
「わかってねえよ」と思ってしまうので、
気軽に「わかる、わかる」とはやはり言えない。
世の中で「わかること」と「わかんないこと」を数えれば、
圧倒的に「わからない」ことの方が多い。
この世は、「わからない」が前提だ。
宇宙のことも素粒子のことも
うなぎの産卵場所さえまだよく「わかっていない」。
人の心の中なんてなおさらだ。
わからないからこそ、わかろうとするってもんだ。
だから、わかった振りはやめたほうがいい。
天才のことはやっぱり天才にしかわからないし、
子どもを失ったことのない人に、
子どもを失った悲しみはわからない。
わからない問題は保留しておいていいのだ。
「語りえないものについては、沈黙しなければならない」
とウィトゲンシュタインは言ったらしい。
最近、普通の人が異能の人の領域を荒らしている気がする。
自分には「わからない」人がたくさんいることを
もっと知ったほうがいいのではないか。
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