宮台真司氏は90年代に「終わりなき日常を生きろ」
といったけど、こんなに「日常」が終わらないとは
思わなかった。
2000年代初頭、経済学者が「失われた10年」と
言ってたけど、まさか2010年初頭に、
「失われた20年」と言われるとは思いもしなかった。
そして、もう2016年。
4年後に「失われた30年」と言われるのか、
オリンピックバブルで「失われた30年は終わった」と
言われるのかはわからない。
ただ、戦後から11年たった1956年に経済白書が
「もはや戦後ではない」と言ったように、
誰かそろそろ言ってほしい。
「2016年。もはやバブル後では全然ない」
戦後復興が進み、クラウンが発売された1956年が
「もう戦後ではない」ように、
CDが売れなくてもyoutubeで永遠に音楽が聞ける時代は
「もうバブル後ではない」。
高度成長期を基準に考え、
「失われた」「失われた」と言っても始まらない。
20年失われていたら、それがもう、日本の実力だ。
聞いた話によると、「もはや戦後ではない」という文言は、
「もう戦後ではないから、これから成長だ!」という
ポジティブな話ではなく、
「戦後復興によって生産力が戦前の水準まで回復してしまった。
もう戦後とはいえない。余白がない。これからどうすんだ!」
というネガティブな話だったらしい。
その後、予想に反して経済成長したばかりに、
威勢のいい言葉だと勘違いされたという。
だから、平成も、それに習おう。
「もはやバブル後ではない!
(なのに、この低成長。これからどうすんだ!お先真っ暗!)」
そう言っておけば、予想外の未来があるかもしれない。
人生のほとんどを「失われた時代」に生きてきた若者には、
そういうしかない。
失われようが何しようが、それぞれの「日常」は、今日も続く。
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