大阪の高槻に、「キリシタン遺物資料館」という、
隠れキリシタンの資料館がある。
戦国時代、キリシタン大名だった高山右近が治めていた土地には、
禁教令が出てからも信仰を守り、
明治時代まで300年近く、
誰にも知られずにキリスト教を守ってきた人たちがいた。
小学生の時に誰もが教科書でみたザビエルの肖像画も、
彼らがずっと蔵の中に隠していたものだ。
そのことは、世界に衝撃を与え、
バチカンからも使節団が訪れたという。
「キリシタン遺物資料館」は、
阪急茨木駅からバスで4,50分乗り、
そこから1kmほど山を入っていった場所にある。
周りをすっぽり山に囲まれた小さな集落だ。
こんな山あいだったから「異教」が他に漏れなかったのだろうが、
こんなところに戦国時代に人が住んでいたことに驚く。
戦国時代の人口は1200万人くらい。
今の10分の1だ。
車も原付きも、チャリすらない時代に、
こんな物流困難な地区に何故、人は住んでいたんだろう。
彼らは、キリスト者だったから辺鄙なところに住んだわけではない。
少し離れているが、山には小さな集落がぽつりぽつりある。
なぜ、人は、わざわざ不便なところに住んだのだろうか。
そう友人に疑問をぶつけてみると、
「人が住んでるんなら、そこが便利な場所だったんでしょ」
と言われ、膝を打つ。
そうだった。
いまの都会民は、まちには何でもあって、
山には何にもないと思いがちだが、
山には生きるために必要なものがなんでもある。
エネルギー源であり、住宅の材料でもある、木がある。
そして、食べものを生み出し、衣服の原料も育て上げる、土がある。
ないのは「情報」くらいで
山にこそ、人が生きていくためのものが、何でもあったのだ。
都市に住んでいると、
そんな基本もわからなくなってしまう。
そんなことは、基本的な「情報」として知っていたはずなのに、
多くの情報の中に埋もれて、忘れてしまっていた。
情報として知っていることは、
経験として知っていることや、身につけてわかったことに比べて、
とても、脆弱だ。
信用ならない。
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