「世界に一つだけの花」は、
世代を超えてみんなで歌える最後の曲だと思っている。
世代を超えてみんなで歌える歌もなくなってしまったが、
世代を超えてみんなで踊れる踊りってのも、なくなってしまった。
これまで地域で踊り継がれていた”伝統”舞踊は、
下の世代に引き継がれなくなり、
基本ステップだけ覚えてれいれば踊れた盆踊りすら、
都市に住んでいると、
参加する機会が少なくなっている。
大学生の頃、踊る機会が全然ないぞ、ということに気づいた。
都会で皆が踊る場所といったら、クラブくらいしかないが、
クラブは、「チャラい人」以外、門番に止められると思っていた僕は、
そんなところに行けるわけもなく、
部屋の中で、一人、ボックスを踏んでいた。
なんで、日本には、踊る場所がクラブしかないのだろう。
踊ることと、「チャラい」こととは無関係のはずなのに、
なんで、「チャラい人」しか踊ってないんだろう。
世の中を「チャラい人」、「普通の人」、「ダサい人」の
3つに(乱暴に)分けてみると、
「チャラい人」しか、日本では、踊っていない。
そう大学時に気づいて、嘆いているうちに、
いつの間にか、「ダサい人たち」も踊り始めていた。
アイドルオタは、サイリウムを持って全力でヲタ芸を打ち、
コスプレヲタは、ダンス動画をニコニコ動画にあげていた。
「チャラい人」は、クラブで踊り、
「ダサい人」は、ヲタ界隈で踊る。
踊ってないのは、「普通の人」だけになっていた。
どうやら、取り残されてしまった・・・。
「都市社会」「情報化社会」「ネット社会」は、
からだを置いてけぼりにする。
頭で考えたことを大事にして、
からだを、感覚を、フィーリングを、五感を、ばかにする。
そして、頭と体のバランスが、じょじょに崩れていく。
そんな社会の中でも、
「チャラい人」と「ダサい人」は、
それなりに体を動かし、汗をかいて、踊り狂っている。
その声が「ウェーイ!」なのか「ローマ−ンース!」なのかの違いはあれど、
からだを動かし、声を出して、からだでリズムを感じている。
踊っていないのは、
「チャラい」とも「ダサい」とも言われない「普通の人達」だ。
都市社会に上手く適応し、
情報化社会に難なく順応してそうに見える「普通の人達」が、
一番、バランスが悪く、危ういのだ。
気取ってる場合では、ない。
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