フェデラーが全豪で優勝した。
怪我からの復帰後初の大会で、
ライバル・ナダルを倒し、7年ぶりの優勝。
NHKの実況者は、「なんという35歳だ!」
と、興奮して叫んでいた(NHKなので控えめに)。
20代にピークを迎えるといわれるテニスにおいて、
35歳で、しかも、膝の手術を経ての全豪制覇。
本当に、なんという35歳だ・・・。
ん?35歳?
フェデラー、この顔で、35歳か・・・。
フェデラー、35歳には、ぜんぜん見えないな。
世の35歳は、もっと、ふにゃっとした、ふわっとした顔をしている。
こんな貫禄や風格はない。
業界を肩に背負ってると、やはり、ああいう顔つきになるのだろうか。
試合以外では、まだふにゃっとしている27歳の錦織も、
これから、ああいう顔つきになっていくのだろうか。
同じ35歳だとしても、
若い時期にピークを迎えるスポーツ選手と
中年になってから権力を握り始める政治家とでは、老成ぐあいが違ってくる。
顔は「社会」によって作られる部分があるようで、
ヲタクと呼ばれる人達は、総じて、顔が幼いと言われる。
趣味に生きる人は、社会的な顔つきになる必要がないので、
歳を重ねても、見た目が幼いままでいいのだろう。
「見た目が若い」というのは、現代では褒め言葉だが、
年相応の若さでないと、社会的な信用が得られないこともある。
年齢に不釣り合いな若さは、不気味でしかない。
社会が顔を作る以上、子どもと大人を、
年齢だけで分けるわけにはいかない。
立場や境遇が、人を大人にしていくことも、大いにある。
ある人は、大人と子どもの分け方を、こう教えてくれた。
未来のことを語るのが、子ども。
現在のことを語るのが、大人。
過去のことを語るのが、老人。
まだ30代なのに、老人のように話す元スポーツ選手もいれば、
40代なのに、子どものように、ロボットの未来を語る技術者もいる。
若いか老いているかは、年齢でははかれない。
年齢は、ただの数字であり、
心が若ければ、「一生、青春」。
そう、野村克也の奥さんは、70歳の時、言っていた。
70歳でまだ青春が送れるなら、
フェデラーはまだまだこれからだ。
次の舞台は、全仏かな・・・?
でも、次こそは、今度こそは、全仏こそは、ガンバレ、錦織!
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