フランス文学者・桑原武夫氏の蔵書を、
京都市が無断で捨てたことがニュースになっていた。
遺族が京都市に寄贈した氏の蔵書を、
「図書館の蔵書と重複している」という理由で、廃棄したという。
担当の部長は、減給処分。
担当者がどんな気持ちで捨てたのかは、知るよしもないが、
預かっていたのが、氏の原稿やノートではなく、「蔵書」ということで、
軽く考えていたのかもしれない。
廃棄したのは、桑原武夫氏が書いた本ではなく、読んでいた本だ。
その重要性の判断は、もしかしたら、難しいのかもしれない。
(どちらにしても、寄贈なので、遺族に連絡を入れるべきだったらしいですが)
桑原武夫氏といえば、同じ京都学派の生物学者、今西錦司氏を思い出す。
二人とも、京都大学の教授で、生粋のクライマーで、縁の黒いメガネをかけていた。
記憶の中では、二人とも、メガネをかけていたはずなのに、
メガネのイメージが強いのは、(個人的に)今西錦司氏の方だ。
ここ最近、若者がよくかけている、
フレームの上部だけが黒縁のメガネを、今西錦司氏はかけていた。
今西錦司氏だけでなく、当時の男はあのモデルをかけていたのだろうが、
僕は、今の若者が、あのモデルをかけているのを見る度に、
「お前も、今西モデルか」と心の中でつぶやいていた。
(「今西モデル」というのは、今西錦司氏が提唱した生物進化理論「今西モデル」にかけている)
しかし、最近、実は、今西錦司氏は、
そのメガネを晩年にしかかけていなかったということに気づく。
好々爺然としたおじいちゃんになる前の今西錦司氏はずっと裸眼で、
メガネをかけたのは晩年、
しかも「今西モデル」をかけていたのは、
晩年の、さらに短い期間だけだったのだ、と。
どちらかというと、長いことメガネをかけていたのは、
今西氏よりも桑原氏の方だったのだ。
出版物のイメージに騙されていた。
故人のビジュアルイメージというのは、
亡くなった後の、伝え方が大きく左右する。
ヘップバーンのように、死んでからも、ずっと若い人もいるし、
川端康成のように、若い時代がなかったかのように、ずっとおじいちゃんの人もいる。
以前どこかで、岡本太郎氏の晩年の映像を見たことがあって、
人に支えられながらよろよろ歩く岡本太郎氏には、胸を打つものがあったが、
そんな映像は、あまり出回っていない。
それは、皆が見たい岡本太郎ではないからだ。
僕らが見たいのは、年老いた岡本太郎ではなく、
いつも強烈に爆発している岡本太郎だ。
僕らは、僕らが見たい故人しか見ない。
だとすると、僕は今西錦司氏に、
裸眼でエネルギッシュな生物学者ではなく、
「今西モデル」をかけた好々爺でいてほしかったのかもしれない。
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