ゆずが20週年を迎えたとコンビニの店内放送が言っている。
ゆずは90年代、TKサウンド全盛の頃に、
フォークギターとハーモニカを引っさげてJPOPに登場し、
新しい形のフォークデュオとして人気を博した。
ゆずがヒットした後、「ゆずに続け」と、
ゆずっぽいフォークデュオがぼこぼこ登場したけれど、
もちろん、そのほとんどは数年で消えていった。
そういうことはどのジャンルでもあり、90年代だけでいっても、
宇多田ヒカルが出てきた後には、宇多田ヒカルっぽい人が出たし、
椎名林檎が登場した後には、椎名林檎っぽい人がいた。
多分、それは80年代のパンクでも、70年代のフォークでも、
60年代のロックでも、同じようにあったのだろうと想像する。
あるジャンルの中で、オリジナルと呼んでも差し支えない人と、
誰かの後追いで「〇〇っぽい」と呼ばれる人を、
どう見分ければいいかは、うまく一言では言えないけれど、
似たように見えるものの中にも、「違い」はあって、
その「違い」を見つけることは、できる人にはできる。
数学のような明快な世界では、
似たようなものの中から違いを見つける方法をきれいに示してくれる。
数学が好きな人は「素数」に特別な思いを持っていて、
居酒屋の下駄箱や銭湯のロッカーを使う時にも、
進んで「素数」が振られたものを選ぶのだけど、
実は、「素数」と言われているものの中にも、「違い」は存在する。
「素数」とは、1とその数でしか割り切れない数字で、
2,3,5,7,11,13などのことを言うが、
「ガウス整数環」という考え方を用いて、
複素数を導入し、それぞれの数を因数分解しようとすると、
「分解される素数」と「分解されない素数」に分けることができる。
2や5は分解される素数で、
3や7は、分解されない素数。
ただの整数の世界では、「もうこれ以上分解できない」と思われていた2や5も、
もう一段、違う位相を入れてしまうと、分解されてしまうのだ。
その逆に、3や7は、違う位相を入れて計算してみても、分解されることがない。
つまり、3や7は、2や5とは、次元の違う素数だということを、
18世紀の数学者、カール・フリードリヒ・ガウスは発見したのだ。
数学は、それをきれいに、数式で、示してくれる。
ガウスがそのことを発見する以前にも、多くの数学者は、
素数の振られた居酒屋の下駄箱や銭湯のロッカーを使っていたはずで、
そこで、「3」や「7」を使っていた数学者は、
「2」や「5」を使う数学者たちに違和感を感じていた可能性がある。
逆に、なんとなく、「2」や「5」使っていた数学者は、
「2」や「5」の持つ「素数っぽさ」に流されていただけって可能性もある。
(2も5も立派な素数なんだけど)
同じようにくくられているものの中で「違い」を見つけ出すことは、
用意ではない。
20年音楽活動を続けられたという実績でもって、事後的に「違い」が見えることもあるし、
誰かが異なる数の位相を発見するまで、何世紀も「違い」がわからないこともある。
でも、それを見抜く目のある人は、多分、証明を待たずともピンときてしまうのだと思う。
数学は論理的な学問だけれど、
必ずしも論理の積み上げの先に発見があるのではないと、
ある数学者は言っていた。
古代ギリシャ時代の、「ガウス整数環」を知らない数学者の中でも、
同僚の数学者が、銭湯で「3」のロッカーを使うのを横目で見て、
『そりゃ「3」も素数だけどよ、何か「7」とは違うんだよなぁ』
と苦い顔をしていた数学者がいたことだろう。
ピンとくることと、その訳が言えることは、別のことなのだ。
コメント