去年のアメリカ・クリスマス商戦の主役は「アマゾンエコー」だった。
アマゾンが発売したAI搭載のスピーカーで、
声だけで操作が可能なデジタル機器。
手を触れずに言葉をかけるだけで、音楽を再生したり、
電気を消したり、天気予報や自分のスケジュールを確認したりできるこの新商品は、
未来を感じさせるデバイスとして大人気だった。
「空飛ぶ乗り物」や「食べたいものがすぐに出てくる装置」など、
昭和の人たちは、未来を感じさせるマシーンをたくさん想像していたけど、
現実にやってきた未来は、あの時想像した通りでもあるし、
あの時の想像とは違ってもいる。
ただ、3年前、友達とパスタ屋にいた時に、
僕は、自分がまぎれもなく、想像した通りの「未来」に生きていることを実感した。
友達とパスタ屋にいた僕がぼんやりと料理を待っていると、
店内のBGMを聞いていた友達がふいに席を立って、
店のスピーカーにスマートフォンをかざした。
すると、彼女のスマートフォンのアプリは、
店内に流れる音楽の曲名とアーティスト名を表示したのだ。
え?どういうこと?
それは、僕が小さい頃、
店内で流れていた曲がいい曲だと気づいたのに曲名がわからずに、
必死でメロディを覚えようとした時に、思い描いていた未来。
あの時、音楽を流せば曲名を教えてくれる機械があればいいのにと思った「未来」が、
2014年、すでに実現されていたのだ。
しかも、大したニュースにもならずに、ひっそりと。
そう、今は既に、ひっそりと、「未来」なのだ。
大正生まれのうちのばあちゃんは、
戦後、家電がどんどん家庭に入ってくるようになって、
そのあまりにも便利な電化製品たちに驚きっぱなしだったという。
ただ、家に、テレビがやってきて、洗濯機がやってきて、
電子レンジがやってきた時に、
「ここまでだ」と思ったという。
家が便利になるのは、ここまで。
これ以上、世の中が便利になることはありえない。
ここが、便利の頂点!
「未来」はすでにやってきている。
そう思ったばあちゃんの思いに反して、その後も日本の家庭には、
掃除機、炊飯器、FAX、ビデオデッキ、デジタルカメラと、
どんどん便利な電化製品はやってきた。
あまりにもたくさんの便利な道具がやってきすぎたせいで、
ばあちゃんは、途中からそれらを便利とすら感じなくなり、
インターネットやスマートフォンなんて、
便利過ぎて、何がどう便利なのか、
まったくわかっていない。
今週末、ばあちゃんは91か92歳かの誕生日を迎える。
お祝いは何を買っていこう。
もう便利なものはいらないだろうし、
そういえば、家のCDラジカセが壊れたって言ってたな。
CDラジカセはボタンが小さくて、操作が難儀だから、
ここは、やっぱり、声だけで音楽をかけられる、アマゾンエコーにするかな。
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