悪寒がした。
関節が痛む。
脈がとんでもなく速い。
首がやかんのように熱い。
やばい。
インフルエンザかもしれない。
そういえば、職場で休んでいた人がいた。
あの人に移されたのかもしれない。
これから一週間休むことを考えると、
どうにかただの風邪であってほしい。
とにかく一刻も早く、暖かくして寝ることだ。
一にも二にも、暖かくして寝ること。
まだ暖房器具を出していなかったこともあって、
押し入れにあった電気カーペットを抱きかかえて、
ありったけの布団をかぶって寝る。
何時間寝ただろうか。
朝になって目を覚ますと、昨日の症状はすべて消えていた。
治った。
寝たら、治った。
「冷えは万病の元」とはよく言ったもので、
暖かくして寝れば、たいていの症状はよくなるもんだ。
寝ている間に、からだのすみずみに行き渡った”僕”がよく頑張ってくれたのだろう。
よくやってくれた。
意識(conscious)としての僕がなにもしなくても、
無意識側(unconscious)の僕がどうにかしてくれる。
ナイス、アンカンシャス。
まじ、感謝っす。
意識側の僕は、無意識側の僕を常日頃から信用しているので、
からだの調子が悪いときだけでなく、
こころの調子が悪い時も、よく、無意識側に主導権を渡す。
たとえば、「ふて寝」。
「ふて寝」はいい。
嫌なことがあっても、寝て起きたら、嫌な気分は消えている。
それは多分、無意識世界での経験が、現実世界の経験を上書きするからだ。
嫌な記憶は、その後の楽しい記憶で消していくしかないが、
現実世界は時間と空間に限りがあるので、
「次の日」までにハワイに行って楽しい経験をするなんてことはできない。
でも、夢の中なら、それができる。
ハワイの見知らぬレストランで、ジョンレノンと食事をしたり、
ハワイの空手道場で、旧友と組手をするなんてことができる。
意識側に戻ってきた時におぼろげにしか覚えていなくとも、
目を覚ませば、「昨日」のできごとは、はるか遠くに遠ざかっている。
ナイス、アンカンシャス。
まじ、感・・・。
からだのことでもこころのことでも、
意識側と無意識側は交代で僕を守っている。
詩人の谷川俊太郎が「朝のリレー」で、
「ぼくらは朝をリレーするのだ(中略)そうしていわば交代で地球を守る」
と言ったように、
”僕ら”は”主導権”をリレーしながら交代で”僕”を守っている。
悪寒がしたり関節が痛んだり、からだが警告を発した時は、
こうやって文章を書いている”僕”の出番ではない。
さっさと布団にもぐりこんで、向こう側にリレーするに限る。
”僕”はひとりで”僕”をやってるわけではない。
無理して”僕”ひとりで頑張ろうとすると、たたる。
リレーできるものはリレーすればいいのだ。
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